日々の写真 2020年1月

1月17日 写真について考えることの効用
EOS7D + EF500mm F4 L IS USM

  今日は忙しくて、ゆっくり写真のことを考える余裕がなかった。
  まあ考えるより撮ったほうがいいのかもしれないが、考えた上で撮るほうが、何も考えないでボーっと撮るより撮った気がする(必ずしも写真の内容とは比例しないが)ので良い。
  達成感は大切だ。それは根拠なき明日への切符である。


1月16日 新しい記事を投稿しました


→ 正月の四柱神社界隈

 今度こそ正月の風景シリーズは終了です。(年末年始のカモシカが残っているけど正月感はないので)

 今回も気ままスナップだったので、スクエアフォーマットにできるかなと思って試しましたが、無駄なあがきでした。やはり、最初から意識的に撮らないとダメみたいです。
 


1月15日 スクエアフォーマットで新しい記事を投稿しました

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EOS5D Mark IV + EF85mm F1.8 USM

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→ ダントウノスワコ

 同じ写真なんだけど、撮り慣れた3×2のアスペクト比とは全く別物の印象。
 何を撮っても、日の丸構図で真ん中に被写体をドカンと据えたとしても、どこか実在感が希薄になって、明け方に見る夢みたいな感じになる不思議さ。

 この形式はドキュメンタリーには向かないかもしれない。
 だが、私小説ならぬ「私写真」には最強の形式だと思う。
 


1月13日 新しいこと
EOS5D Mark IV + EF24-70mm F2.8L USM

 今、久しぶりに新しいことに挑戦しようとしている。
 それに関連して、このブログのCSSもちょっと弄る必要がある。
 なので、今日はこの辺で。

 


1月12日 凄いと思う写真や人に出会った時
EOS5D Mark IV + EF85mm F1.8 USM

 人の撮った写真が好きで、毎日ネット上の写真ブログを駆け巡っている。
 また、いろいろな写真展にも足を運んでいる。
 でも普段は人の撮った写真をあまり気にしないというか、「自分は自分、他人は他人」というスタンスで生活している。
 だが稀に、自分を根幹から揺るがすような凄い写真や、そういう凄い写真を撮る人に出会うことがある。
 この「凄い」というのは、私がいつも目指している境地をすでに体現した写真だったり、被写体との向き合い方(視点)だったり、私が想像もしなかった解釈で撮っている人だったり、いろいろある。
 とにかく、今の私に足りないと思うものを持った写真や撮影者は、素直に「凄い」と思う。

 私はそういう「凄い」ものに出会うと感動する一方で、激しく凹む。
 ああ自分の写真はまだまだダメだ、と落胆する。
 写真を撮る気力も、しばらく失せる。
 それは自分の写真や、考え方の未熟さを面前に突きつけられているようなものだからだ。
 凄い写真や人は、私にとって「自分の甘さへの鉄槌」として機能する。

 しばらくは打ちひしがれて、ぼんやりとして暮らす時間が続く。
 だが、ある時また「写真を撮ろうかな」という気になってくる。
 いつまでも息を止めていられないのと同じだ。
 そこでいつも考える。
 凄い人の境地にはどんなに頑張っても到達することはできない。なぜなら、それはその人独自の世界だからだ。
 憧れても真似しても、「その人ではない」自分が、そこに到達することはできない。
 だから、私は私の世界を追究していくしかないのだ、という結論に至る。
 しかし、凄い人の鉄槌に殴られたことで、これまでの自分よりももうちょっとマシになるように頑張ろう」という気持ちが沸き起こる。
 そうやってまた、試行錯誤の日々が始まる。

 見方を変えれば、そうやって殴ってくれる人がいるから(私が一方的に殴られに行っているだけかもしれないが)、ここまで写真を続けてくることができた、と言えなくもないのだ。
 だから、自分を殴ってくれる写真や人の出現を、どこかで期待している自分もまたいるのである。

 


1月11日 過去記事をリニューアルしてアップしました(2件)

 

→ 大晦日の満月2009

 これを撮ったのは確か、夕方まで白鳥を撮って、それからせっかくの年越し蕎麦に、と安曇野市穂高にある大王わさび農場で本山葵を買った帰りだった。
 この日は雪が降ったり止んだりの日で、満月なのは知っていたが月見は早々に諦めていた。
 ところが、車を運転しながらふと東の空に目をやると、電球みたいな色のでっかい月が山の上からゆっくり昇ってきていた。
 慌てて道路脇に車を止めて、さっきまで白鳥を撮っていた機材を引っ張り出して月を撮影した。
 とっさに車を止めた場所が川の近くだったので、河原に生えた立木の冬枝越しに月を見ることになった。
 遠くの空で沢山のトンビが円を描きながら飛んでいて、時折月の前を横切った。
 それから間もなく、また月は雪雲の中に隠れて見えなくなった。
 ほんの一瞬の、奇跡のようなお月見だった。

→ 駒ヶ根市「光前寺」緑雨

 今年の正月にも行った、駒ヶ根市にある「光前寺」。
 正月の風景もいいが、雨に濡れる緑がまた素晴らしい。
 今年はもう一度、雨の季節に訪れたい。
 
 


1月10日 朝ドラのセリフ
EOS5D + EF300mm F4 L IS USM

 今週の朝ドラ『スカーレット』で、とても印象に残ったシーンがあった。
 喜美子と八郎の工房を訪れていた美術商の佐久間が、喜美子の作った作品を見ながら八郎に向かって諭して言ったセリフ

 こういうな、閃きと感覚だけでぱっぱとやってるうちは大したことないんや。
 怖いんは、これに知識がついた時や。
 豊富な知識に裏打ちされた自由奔放な作品ほど怖いもんはないで。

 今はまだ「自覚なき天才」である喜美子の末恐ろしさを言い得たセリフだ。
 このセリフをもっと掘り下げて考えるなら、
「センス上等で勝負してるつもりになっていたとしても、実は大して勝負になっていない。センスだけでなく、『豊富な知識』などの作品を裏付けるものがなければ、その先の世界には決して到達できない」
ということなのだろう。

 陶芸ではなくて、写真をやっている身としてもこのセリフはかなり刺さる。

 やはり、写真もセンスだけでは続かない。
 写真の背後に裏付けとなる知識や哲学がなくては、やはり大したことのない写真になってしまう。
 対外的にではなく、自分の中でそうなってしまいそうで怖い。
 だから日々考え続けなくてはいけない。
 考え続けようと思う。

 それにしても、登場人物にこういうセリフをさり気なく言わせる今回の脚本家はすごい。
 ストーリー展開とかだけでなく、登場人物が語る重みのあるセリフが、物語の骨格を作るのだろう。


 それはさておき、過去記事をリニューアルしてアップしました(今日は大盛りです)

→ 奈良井宿アイスキャンドル祭り2011

 毎年節分の夜に行われるイベントです。
 宿場町の住民によるハンドメイドの短いイベントですが、連なる炎の灯りが素晴らしいです。
 LEDイルミネーションの何倍も価値があると感じています。
 
 


1月9日 新しい記事を投稿しました

 

→ 奈良井宿正月2020

 お正月スナップのラストです。
(※後日注:もう1つありました)
 にぎやかな場所もいいですが、静かな正月もしみじみとして好きです。
 同じ宿場町の中でも、いろんなバリエーションの正月飾りがあって驚きました。
 さすがはディスプレイの匠が集う奈良井宿。

 


12月8日 また悪夢を見た
EOS5D Mark II + EF35mm F1.4L USM

 タクシーなのかは分からないが、私は知らない男の運転する車の助手席に座っている。
 車は海に突き出した岬の先端で、海の方に向いて止まっている。
 岬の下は崖になっていて、海面までは少なく見積もっても40メートルくらいはある。
 はるか下の方から、波の砕ける音が車の窓越しに聞こえてくる。
 私は心の中で「頼むからこのまま前進しないでくれよ」と思う。

 だがやはり、車は岬の先端に向かってゆっくりと動き始める。
 おいおい動いてるよ、このままじゃ車もろとも海の中だよ。止まれ止まれ。
 だが運転手は「あれ、おかしいな、どうしよう」みたいなことをぶつぶつ言いながら、ブレーキをかける様子もない。
 目前に崖が迫る。
 このままでは車ごと海の中だ。どうする。
 私は慌てて助手席のドアを開け、車の外へ転がり落ちる。
 飛び降りた瞬間、後部座席に撮影機材を積んでいたことを思い出す。
 そうだ、後部座席の上にほぼ全てのレンズとカメラボディを詰め込んだ機材バッグと、5D3を着けた500ミリレンズがあったはずだ。
 撮影機材が海に落ちてしまう。なんとかしなくては。
 私は崖に向かって進んでいく車を猛然と追いかける。
 崖の直前で私はなんとか車に追いつく。
 速度を上げながら崖へと突き進んでいく車と並走しながら、私は後部座席のドアを開け、目に入った500ミリのレンズをなんとか引っ張り出すことに成功する。

 だがそこで車は崖の上から空中に飛び出して、放物線を描きながら海面めがけて小さくなっていき、やがて盛大な水柱を上げて水中に没した。
 多分運転手の命はないだろう。
 後部座席の撮影機材も全て海の藻屑になってしまった。
 私はなんとか救出できた500ミリのレンズと先代のボディを抱えながら途方に暮れる。
 この先500ミリ1本とくたびれたボディ一つで、どうやって写真を続けていけばいいのか。
 運転手の消息よりも、海中に没した数多の撮影機材と、今後の写真ライフの展望について思いを巡らせて、私は暗澹たる気持ちに沈む。もう写真は続けられないかもしれない。

 しかしその時、潮騒に紛れて崖の下の方からなにやら声が聞こえてくる。
 驚いて急いで崖下を覗き込むと、急峻な崖を洋犬の雑種みたいな犬が嬉しそうにしっぽを振って駆け上がってくる。
 そのはるか後ろを、車ごと海に落ちて助からなかったはずの運転手が「いやー、やっぱり落ちちゃったなぁ」と照れくさそうに笑いながら、崖を登ってくるではないか。
 あれ、なんだこれ、変だぞ。
 そう思った直後、目が覚めた。
 変な汗をかいていた。

 また機材を水没させるという夢を見てしまった。 
 バリエーションはあるが、すべて水没というシチュエーションで、これで3回目だ。
 どうやら私の中に撮影機材を失うことへの潜在的な強い恐怖があるらしい。
 そこまでして写真を撮りたいバカなのだろうと思う。

 それにしても、夢でよかった。

 


12月7日 新しい記事と過去記事をリニューアルしてアップしました

 駒ヶ根市にある南信随一の古刹「光前寺」の正月風景を撮りに行ってきました。

→ 駒ヶ根市「光前寺」正月2020

 2011年にも同様の撮影をしていましたので、リニューアル記事を合わせてアップします。

→ 駒ヶ根市「光前寺」正月2011

 今回は85ミリ1本勝負、9年前はいろんなレンズで撮ってます。
 似たようなショットがあったり、全然違うショットがあったり、同じ場所を長い時間を隔てて撮るとその間の自分の変遷の縮図を見せられているようで面白いです。

 


12月6日 スターウォーズ
EOS5D Mark II + EF24-70mm F2.8L USM

 月曜日は行きつけの映画館がサービスデーで一律千円になるので、『スターウォーズ』最新作をレイトショーで観に行こうかと思ったが、真剣に悩んだ末にやめた。

 小学校の時に地上波で見て以来、かなり熱心なスターウォーズファンで、EP1~EP6までのブルーレイBOXも持っていたりするのだが、ディズニー移籍後の新3部作はかなり食傷気味だ。
 とはいえ、EP7はまだ良かった。新時代の幕開けを予感させるワクワク感があった。
 EP8は、悲しくなった。
 そして、いま公開されているEP9。巷には賛否両論渦巻いている。ただ、否の比率がとても多い。

 「世間の評価に流されないで自分の目で観て判断しろ」と言われそうだし、それはもっともな意見なのだが、私が恐れているのは「ひとたび観てしまったら、もう観ていない自分には戻れない」ということだ。
 こんな事を言うと、M-1グランプリでの「かまいたち」のネタみたいだが、かなり本気でそう思う。

 公開後40年も経つと、ファン一人ひとりの心の中に「俺のスターウォーズ」という箱庭がすでに構築されていて、新作映画がその世界観に合致するかどうかがとても重要になってくる。
 最悪の場合、駄目な映画は大切な箱庭を壊す。そしてもう、その箱庭は戻ってこない。
 今回のEP9は、そういう箱庭キラーの匂いが離れていてもかなり濃厚に漂ってくるのだ。
 箱庭を捨てる覚悟で冒険するのか、それとも現実に背を向けて箱庭の中で思い出に浸るのか。
 今回は後者を選びたい。

 そもそもスターウォーズは、重厚な人間ドラマとか人生への示唆だとかは全く無く、大宇宙を舞台にした単純なチャンバラ活劇映画である。
 そういう単純な映画だからこそ、ジョージ・ルーカスという屋台骨の存在が重要だったのだと今更ながらに気づく。
 いまスターウォーズはジョージ・ルーカスの手を離れ、「みんなのスターウォーズ」になった。しかりそれはスターウォーズではあるけれど、どこかスターウォーズでなく、全然骨がない、ぐにゃぐにゃとした変な映画になってしまった。

 写真も同じだなと思う。
 誰かが撮った写真を真似て、同じ被写体にレンズを向けて撮ることは可能だけれど、その世界観は決して継承できるものではない。
 土門拳のように撮っても、決して土門拳の写真になるわけではないし、森山大道を真似てアレブレ写真にしてみても、それは森山大道っぽいけれど骨のないぐにゃぐにゃした写真になるだけだ。
 撮影者本人が、独自の世界観で撮るからこそ、作家性が生まれるのだと思う。
 誰かの世界観を真似たり継承しようとしても、やはり自分の写真にはならない。

 結局は、自分で構築した世界観で勝負していくしかない。

 今回のスターウォーズで、そんなことを考えた。

 


1月5日 新しい記事を投稿しました

 

→ ノリウツギの枯花

 このノリウツギを含め、アジサイ系はそれほど得意ではないんですが、冬に残った枯花は風情があって撮りたくなってしまいます。

 


1月4日 暖正月 + 過去の記事をリニューアルしてアップしました
EOS5D Mark IV + EF85mm F1.8 USM

 今年はどこに行っても暖かい正月で、とにかく雪がない。正月と言うよりは春先みたいだ。
 暮らしやすかったり移動しやすかったりするのでありがたい面もあるのだが、反面、やたらと風情がない。
 正月休みも残りわずかなので遠出をしてきたが、やはり暖かかった。
 10年前の元日の記事をリニューアルしてアップしたが、やはり世界が違う。

→ 元日の雪夜 ― 若一王子神社

 今こんな調子だと、2月ころになってドカッと降りそうで怖い。
 

 


1月3日 新しい記事を投稿しました

 

→ 戸隠神社正月2020

 昨日の記事で書いた戸隠神社へ初詣の模様です。
 いやはや、年始から大変だった。


1月2日 戸隠神社
EOS5D Mark IV + EF24-70mm F2.8L USM

 年末は大晦日まで、山に入ってカモシカを追いかけていた。
 年が明け、元日は例年のようにガツガツ撮る気分ではなく、静かな生活に徹した。

 そして今日、毎年の恒例となっている「戸隠詣」に行ってきた。
 戸隠神社中社で一年間お世話になったお守りをお返しして、新たなものを受け、年に1回と決めているおみくじをここで引く。
 中社のおみくじは「数え年」「性別」を告げると、神職が祝詞を唱えながら引いてくれるという、珍しいタイプのおみくじだ。
 ここのおみくじは、例えば「吉」であってもその中に様々なバリエーションがあって、全体で吉凶80種類の御籤札がある。
 今年はここでびっくりするようなことが起こった。
 なんと、去年のおみくじと全く内容が一緒なのだ。
 80種類の札の中から全く同じものが来るということは、やんごとなき神託だと理解して、今年は心して過ごそうと思う。

 今年の戸隠は驚くほどの雪の少なさで、いつもであれば積雪によって一般装備での参詣を拒む奥社に、普通に参詣できる状態だった。
 そこで、中社の駐車場から奥社道を通って奥社に向かった。
 雪は少なかったのだが、それが逆に大変なことになっていた。
 少ない雪を多くの参拝者が踏み固めていくので、奥社に向かう参道のほぼ半分から上が全て「アイスバーン」なのだ。
 参道後半は結構な傾斜がついているので、参道全体がボブスレーのコースみたいになっていて、あちこちで転倒者が続出していた。もちろん私も派手に転んで、背中でしばらく斜面を滑り落ちた。
 奥社の神様は、天岩戸神話で岩戸をこじ開けて放り投げた力自慢「手力雄命」なので、奥社まで登ってくる我々参詣者の体力と心意気を試しているのだと思った。
 駐車場から往復9キロ、なんとか無事に参詣できたが、凍結路で踏ん張ったり転んだりしたおかげで、体中の思わぬ場所が痛くなった。

 そんな正月2日。

 


1月1日 謹賀新年

 
新しい年が始まりました。

今年もガシガシ撮っていきます。
変わらぬご愛顧のほど心よりお願い申し上げます。



モデルにしたレンズは、手持ちのものを色々試した中で
24mm F1.4が一番良い写り(レンズっぽい色の重なりが綺麗)なので採用しました。
苦心のライティングで新品ぽく写ってますが、かなり年季が入っております。
今年もガタのきた機材で頑張ります!

 


 

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