日々の写真 2020年3月

3月31日 月末は「メシ撮り」の日


→ メシを撮ること2020年3月+α

 毎日悲しくなるような話題が繰り返されていますが、こんな時こそ自宅で料理を楽しみつつ、美味しい料理を食べて、美味しい酒を飲んで明日への活力にするのが良いと思います。
 飲み過ぎはいけないみたいだけど。

 飲まずにやってられるかコノヤロー。

 


3月30日 涙雨
EOS5D Mark II + EF35mm F1.4L USM

 悲しいニュースが多すぎる。

 


3月29日 大雪
EOS7D + EF70-200mm F2.8L IS II USM

 季節外れの大雪で酷い目に遭いました。
 居住地周辺の山の木々は枝折れがひどく、特に山桜が激しく傷んでいます。
 


3月28日 過去の写真をリニューアルしてアップしました


→ 奈良井宿、夏の夕暮れ

 先日に続き、奈良井宿を撮りまくっていた頃の写真です。
 日中は観光客が往来する観光地としての宿場町ですが、夕暮れとともに外向きの表情は鳴りを潜め、静かな生活の音のする町並みに変わります。

 この急にやってくる静けさと、よそよそしさがどこか心地よく感じました。

 


3月27日 ヌーハラ
EOS5D Mark III + EF70-200mm F2.8L IS II USM

 「ヌードル・ハラスメント」、通称「ヌーハラ」という言葉がある。
 「麺類を音を立ててすする」ことは他人に不快感を与えて嫌がらせ(ハラスメント)になりますよ、といった趣旨である。

 私は生来のラーメン大好きっ子なので、「ラーメンを音を立てずにハムハム食うなんてアホかコノヤロー、ラーメンはすすって食うもんだ」と思っている。
 だが先日、そういう信条の屋台骨を揺るがすような事態に直面したので、そのショッキングな記憶が薄まらないうちに記しておきたい。

 そこは初めて訪れたラーメン屋だった。
 席数が少なかったからか、即座にカウンター席へと案内された。
 私の座った場所の右側に席ひとつ分空けて先客がいた。
 サラリーマン風、小太りの中年男が背中を丸めて、すでに着丼したラーメンを食べていた。

 私はそこに座ってすぐに異変に気付いた。
 なぜなら私の右側から、何やらただならぬ音が響いてきたからである。
 ズヂュルッ、ズジュルッルッヂュヂュッ ・・
 くだんの中年男が、ラーメンをすすっている。だが、そのすする音が凄いのだ。

 食べ方も変わっていて、まず麺を箸でたぐってから一旦レンゲの上にひとまとめにする。
 そのまま一口で食べると思いきや、そのレンゲからなぜか激しくすする。
 なぜだ、なぜそこですするのだ。

 その音たるや、ちょっと文字にするのも憚られる、どうやったらこんな湿度100%の騒音が出せるのかというレベルだ。これに比べたら普通の「すすり音」など草原のそよ風に感じるくらいだ。
 「うわああ、ヤバい席に座ってしまったな」と戦慄していると、事態はさらに悪い方向へと展開した。

 麺をすすり終えた男は、今度はそれをクチャクチャと咀嚼し始める。
 クチャクチャ咀嚼しながらレンゲでスープをひとすくいして、間髪を入れずにレンゲから「ジュルジュルルッ」とこれまた汚い音でスープをすする。そしてスープをすすり終えるたびに「ムハァァ〜ッ」という熱い吐息を漏らすのだ。
 ズヂュルクチャクチャジュルムハァ。
 ズヂュルクチャクチャジュルムハァ。
 極度に汚濁した騒音が絶え間なく繰り返される。
 その上、男の吸引力は衰えることを知らない。
 ダイソンの掃除機も真っ青。

 他人の食事する音で全身に鳥肌が立った。
 冗談抜きで、生きた心地がしなかった。
 そこはラーメン屋ではなく、すでに地獄であった。

 永遠にも似た忍耐の時を過ごし、食事を終えた男がようやく席を立った頃、私のラーメンがしずしずと運ばれてきた。
 ラーメンの味は、拍子抜けするほど普通だった。

 正真正銘のヌーハラを身をもって経験してしまい、私の中のテーブルマナーがにわかにパラダイムシフトしてしまいそうになる。
 とは言え、これからラーメンを無音でハムハム食おうとは思わない。しかしながら、「すすり方」にも上品下品の差はあると実感した。
 ラーメンを愛するのであれば、せめて美しくすすれる人間でありたい。

 全く写真に関係ない話をしてしまった。

 


3月26日 サンキャッチャー
EOS5D Mark II + EF50mm F1.2L USM

 モノではなくて、モノに宿る光を直接撮りにいくと不思議な写真になったりする。

 思わせぶりな組写真の中に織り込めば良い仕事をしてくれそうだが、思わせぶりな組写真を撮ろうとしていないので、ただの不思議な1枚として写真フォルダの中に存在している。

 


3月25日 雲湧く
EOS7D + EF500mm F4 L IS USM

 不要不急の外出をするなと言われた時は、過去の写真フォルダの整理をするに限る。
 何年も前の写真の中に、時折掘り出し物件が見つかる。
 当時の私が注目できなかったり、どう料理したらいいのか分からなかった写真。
 今なら注目できるし、料理もできる。

 いま「どうでもいい」と思う写真でも、なにか引っかかるものがあれば絶対にとっておいた方がいい。
 もしかするとそれは、10年後のお気に入り写真かもしれない。

 


3月23日 過去の写真をリニューアルしてアップしました


→ 蓮記2010 ― 中島蓮池のハスとアマガエル

→ 蓮記 ― 中島蓮池定点観測

→ 蓮記2009 ― 中島蓮池のハスとアマガエル

 ちびちび出すのが面倒くさくなってしまったので、ハス関連の記事をまとめてアップします。
 とにかくハスとアマガエルが大好き、ということが伝わればOKです。

 蓮池は花の咲く夏場以外はあまり見向きされない場所ですが、絶大なる「ハス愛」で季節外れの蓮池にもスポットを当てよう、というのが当時の私の根性論でした。

 


3月22日 過去の写真をリニューアルしてアップしました

 

 奈良井宿盛夏2010

 初めてこの宿場町を訪れ撮影した時は、ガチガチの初心者で露出補正の意味すらよく分かっておらず、奈良井宿特有の黒い町並みで露出が暴れて、白っぽい写真を量産し「写真てなんて難しいんだ」と困惑していた記憶があります。それも今では良い思い出です。

 この頃、ようやく思ったように奈良井宿を撮る楽しさに目覚め、暇さえあれば足しげく通って撮影していました。

 この宿場町も善光寺参道と同じく、定期的に撮りたくなってしまう場所です。

 


3月21日 熊谷守一版画展
EOS5D Mark II + EF70-200mm F2.8L IS II USM

 松本市、井上百貨店6階「ギャラリー井上」で、『熊谷守一版画展』をやっているので観てきた。
 とにかく素晴らしかった。
 長野県で熊谷の作品をこれほど間近で、しかも40点というまとまった数を観られるとは思わなかった。
 版画が中心ではあるが、非常に状態の良いものが多く、さらに貴重な初期の肉筆画まで展示されていて、熊谷の世界を満喫できる。
 私は「黒つぐみ」という版画がもう愛おしくて仕方なく、熊谷の小動物愛が溢れていてしばし見とれた。

 この版画展は美術館の展示ではなく、あくまでも画廊としての展示である。
 だから、美術館のように作品との間に規制線が張られたり、分厚いガラスに隔てられるということはなく、鼻の頭で作品を小突けるほど(絶対やっちゃダメだけど)の距離で、微細な部分までをも鑑賞することができる。
 美術品を観るなら美術館だと思いがちだが、こういう画廊というのは美術館では絶対にできないディープな鑑賞ができるので馬鹿にできない。
 そして、驚くべきことに入場無料である。

 そして、画廊であるから全ての作品に値段が付いている。
 懐に余裕があれば、その絵が自分のものになるのだ。よく考えたらこれも凄いことだ。
 ただし、どの作品も1点あたり数十万円は下らない。

 こういう美術品の価値について、高いとか安いとか、「なんでも鑑定団」のノリで判断してはいけない。
 この件については以前、川合玉堂展を観たある画廊で担当者から聞いた言葉が深く胸に刺さったので、そのまま紹介したい。

 美術品の値段は、一見するととても高価であるように感じます。
 なぜ、ちゃんとした美術品を手にする時、高額のお金を支払わなければならないのか。
 それは、皆が欲しがって、相場が上がっているということだけではありません。
 一流の美術品が高価なのは、それがこの世でただ一つの、我々人類全体にとっての貴重な財産であるからなのです。

 お金を払ってそういう美術品を手に入れるというのは「所有する」こととは違います。
 そういう貴重な財産を、責任を持って「保管する」ということなのです。
 その作品を手にする人は、その価値と重要性をよく理解し、その作品が失われることのないよう、人類を代表して保管する責任があるということです。

 美術品についた値段というのは、その「責任の重さ」そのものなのです。

 ですから、作品を「買う」のではありません。
 高額なお金を払ってその作品を社会から「借り受け」、大切に保管して、また必要があって作品を社会に戻す時は、保管責任を果たした証として相応の代金を受け取る。

 お金を出して美術品を手にするということは、そういうことです。

 美術品と真剣に向き合い、その美術的価値を認識し、その作品を未来へ繋いでいくことへの責任と覚悟がある者だけがその作品の値段についてあれこれ言っていい。
 「なんでも鑑定団」でよく見る、「売って海外旅行に行きたいです」とか「高かったら家宝にします」みたいな値段ありきの不届き者とか、美術品を投機対象にしかしていないような拝金主義者は、そもそも美術品を手にする資格などないと思っている。

 ちょっと熱くなりすぎてしまったが、紹介した熊谷守一展はとても良いので、お近くの方には是非おすすめしたい。
 24日(火)までの日程なのでお早めに。

【参考】ギャラリー井上 2020年3月のギャラリー案内

 


3月19日 春こそ夕暮れ
EOS5D Mark II + EF50mm F1.2L USM

 清少納言は枕草子で「春は夜明けの頃が良い」なんて言っているが、春は夕暮れのほうが好きだ。
 太陽が西の彼方に去っていって、光溢れる暖かだった日中から少しだけ季節が冬の方に戻る。

 あの風が少し冷たくなる感じがとてもいい。

 


3月18日 過去の写真をリニューアルしてアップしました


→  蓮記2008 ― 中島蓮池のハスとアマガエル

 「一番好きな花は?」と訊かれれば、迷いなく「ハス」だと即答する。

 幼少期に慣れ親しんだとか、どこかで見て以来好きになったとかではなく、私にとってハスは「どこか気になる花」に、いつの間にかなっていたのだ。

 そして何故か「ハスは南方の植物なので、長野県にはない」という根拠なき先入観に支配されていて、私の中でハスは「幻の植物」という扱いになっていた。

 だから、実は探せば身近に植わっているということを知った時は驚喜して、ハスを探して日々あちこちを走り回った。
 そんな時には、なんでもハスに見えてしまって、里芋やカボチャの葉っぱを見てハッとしたりして困った覚えがある。

 そんな中、職場の先輩から隣町に休耕田を利用した蓮池があると聞き、慌てて見に行った。

 安曇の平を見渡す河岸段丘の縁にひっそりと作られたそのハス池には、一面に丸い緑の葉っぱが生い茂り、桃色の大きな花がいくつも風に揺れている。

 理想の光景がそこにあった。
 初めて来たのに、なぜか懐かしいような、胸の奥をぐっと掴まれるような感じがした。
 やはりハスは私にとって特別な花なのだと確信した。

 それが、私と中島蓮池との出会いだった。

 以来、ハスを見るのが嬉しくて、来る日も来る日も蓮池に通って写真を撮った。

 私のハス写真は間違いなくここから始まっている。

 今は荒廃して、昔の姿は見られなくなってしまったが、当時の写真を眺めていると、あの夏の風に乗ってやってくるハスの花の匂いさえも鮮やかに思い出す。

 


3月17日 今日も過去の写真をリニューアルしてアップしました。


→ 伊那市「高遠」の桜 

 これを撮ったのは2011年4月。
 東北大震災発生からちょうど1か月後です。
 被災した地域はもちろんのこと、日本中が大変な状況に置かれていました。
 流れてくるのは痛ましい震災のニュースばかりで、被災していない遠い地に住む者であっても、誰もが悲しみに暮れていたことを思い出します。

 でも、この春も、いつもと同じように桜は咲きました。
 その花を見て、震災の悲しみに沈んだ心を癒やす人がいました。

 今、世間はコロナショックであらゆるものが停滞してきています。
 震災の後の、あの雰囲気に似ています。
 「こんな大変な時に、お花見なんて心の余裕はない」
 「皆が苦労してるのに、娯楽なんて不謹慎だ」
そう考える向きも多いと思いますが、私はそうは思いません。

 世を覆う悲壮感に支配され必要以上に人々が活動しなくなれば、社会の経済基盤が揺らぎます。
 社会的経済基盤が弱体化すればさらに悲壮感は増し、社会全体が悪循環に入ることは明白です。

 必ずや人類は、近い将来、新型コロナウイルスを克服するでしょう。
 そうすればまた、普段の日常が戻ってきます。
 ですが、ここで社会基盤を弱体化させてしまえば、戻ってくるはずの日常も戻ってきません。

 いま私達がすべきことは、いたずらにウイルスを蔓延させぬよう感染対策に徹することは言うまでもありません。
 しかし、それと並んで重要なのは、「現在の社会を、ウイルス駆逐後の社会に無事繋げる」ということです。
 コロナパニックに踊らされ、ただ恐怖に震えていては未来はありません。
 為すべき感染対策をしっかりやって、安全に活動し、使えるお金はしっかり使う。経済をしっかり回していく。
 それがコロナ後の平穏な未来を作ります。

 我々個人が、コロナウイルスから自分をどう守ったら良いのかは、すでに誰もが知っているはずです。
 それを知っているなら、延々と垂れ流されるニュースをため息交じりにいつまでも眺めていても仕方ありません。

 それぞれに春を感じ、花を愛で、楽しめることを楽しみましょう。
 大勢で集ってワイワイやるのだけがお花見ではありません。

 今年も、窓の外には変わらぬ春がやってきています。

 


3月16日 過去の写真をリニューアルしてアップしました


→ 王滝村「自然湖」

 まだ初心者だった頃、予備知識もなく唐突に行った撮影スポットです。
 人里離れたとんでもない山奥で、独りで車を走らせることに不安が募ってきた頃、ようやく到着することができました。

 今当時の写真を見返すと、何時間もかけて行った割に撮った枚数は驚くほど少なく、何のために苦労して行ったのか、といまさらながら思います。
 ただ、当時の私のスキルでは、おそらくこれが限界だったのかもしれないとも思います。

 今この場所に行けば、少なくとも当時の数倍は撮れるし、またそれだけ撮れるまでは何がなんでもここに居座ることでしょう。
 カメラがまだ身体の一部になっていない頃。

 いまや懐かしい思い出です。

 


3月15日 新しい記事をアップしました


→ 長野市信州新町「ろうかく梅園」2020

 ちょっと前に近くを通った時は二分咲きだったので、そろそろ見頃かなと思い行ってきました。
 花は六分~八分咲きで、満開に向かってまっしぐらという状況です。

 カメラを始めて十余年、初の試みである「135mmF2」と「EXTENDER EF2×III」の組み合わせで撮ってみました。
 135mmF2は以前から私の中で「花撮り最強レンズ」という位置づけだったのですが、今回はさらにテレコンかましたらどうなるかな、という興味があって試してみました。

 正直言って、今のレンズ基準に照らすと爆発的に収差が増すのでお世辞にも高画質とは言えないのですが、なんというかこのレンズ特有の味も増しているような、そんな写りをするように感じます。
 2倍テレコンをかますことで、焦点距離は2倍、収差も2倍、味わいも2倍、という感じでしょうか。
 しかしながら、270mmで手ブレ補正もないし、ちょっとでもピントを外すと救済不可能なレベルに破綻することが多くて、歩留まりはかなり悪いです。

 不思議なもので、ファインダーの中身の見え方が変わると、それまで絶対やらなかった構図を狙えたりするので機材というのもあながち馬鹿にならないと思いました。

 今回は、いつもとちょっと違う梅園の写真が撮れたような気がします。

 


3月14日 今日も過去の写真をリニューアルしてアップしました

 

→  桜とブランコ

 予報どおり冬に逆戻りで、午前中は雪が降りました。

 コロナの関係で、いろいろなお花見系イベントが中止になって、意気消沈という方も多いと思われます。

 でも、花はいつもと変わらず咲きますから。

 今年こそ、真の意味で「花を愛でる」チャンスだと思っています。

 


3月13日 過去の写真をリニューアルしてアップしました

 

→  雪の日のカモメ

 寒の戻りが来るようです。
 久々に寒そうな写真を選んでアップしてみました。

 


3月12日 新しい記事をアップしました


→ 弥生 ― 善光寺参道

 先日の善光寺界隈スナップです。
 どこに行ってもコロナコロナで、21世紀にもなってこんなに社会が混乱するとは思いませんでした。
 今は大変な曲面ですが、人類はこういう厄介な伝染病と地道に戦って今の文明を築いてきたのだから、今回も必ずこのウイルスを征することになるでしょう。
 反撃の狼煙が上がるまでは、不意打ちをくらわないように防御を固めて耐えるのが今です。

 今できなくなったことも沢山ありますが、できることも沢山あります。
 正しく恐れて為すべきことを為し、あとは時間を有意義に使いましょう。
 ピンチはチャンス。

 


3月11日 ニラとスイセン
EOS5D Mark II + EF24-70mm F2.8L USM

 春の陽気で、土手のスイセンが一斉に芽を伸ばし始めている。
 毎年この時期になると必ずニュースになるのが、「スイセンの芽をニラと誤食して中毒」という奴で、これはもはや風物詩というレベルであろう。

 確かに、スイセンの新芽とニラは似ていて美味しそうに見えなくもない。

 だがちょっと待て。

 ニラというのは誰しも知るあのニラ臭さ(硫化アリル)が凄まじく、煮ても焼いても刻んでも、あのニラ特有の風味が台所に充満する。
 口の中に入れればなおさらで、食べた瞬間に「ああ、ニラだな」と思う。
 むしろあのニラの風味こそニラをニラたらしめているのであって、あの風味がなければもはやニラとは認識できないのではないか、と思う。
 だが、ニラの風味が全くしないスイセンの芽を、ニラだと思って食べて見事に中毒する人が毎年必ずいるのである。

 このスイセン中毒のプロセスには数々のツッコミどころが満載なのだが、結論から言うと、ニラで中毒する人は「そもそも山菜狩りに向いていない」ので、いろいろ自重したほうが良いと思う。

 摘み取った時、調理中に切ったり煮炊きしたりした時、ニラ臭の無さに気づかない、嗅覚の鈍感さ。
 ニラの風味を感じなくてもニラだと思って食べ進めることのできる、味覚の鈍感さ。
 ニラとは似て非なるものを「これはニラだ」と思い込んで調理して完食できる、自己暗示性の強さ。

 漁撈採集活動を行うには、あまりにも危険すぎるスペックである。

 ニラは頑張って野山で採集しなくても、柔らかくて美味しい奴が年中一束100円以下で売っている。
 悪いことは言わないので、そっちを食べたほうがいい。

 数々の誤食中毒の中でも、「ニラースイセン誤食」は危険であることはもちろん、食べた者のバカさ加減をいろいろと露呈してしまうので注意すべきだと思うのである。

 


3月10日 過去の写真をリニューアルしてアップしました


→ 白鳥の流し撮りまとめ ― 安曇野の白鳥

 久々に白鳥の写真です。
 いろいろ思うところあって、最近は白鳥からめっきり足が遠のいてしまいましたが、こうやって写真を見返すと、やはり美しい鳥だと思います。
 私は高速シャッター専門みたいな撮り方をしていましたが、じつはその合間に流し撮りもかなり練習していました。ただ、あまりにも歩留まりが悪いので、全体の枚数は極端に少ないです。
 そういう稀少な白鳥流し撮りの中から、さらに数少ない鑑賞に耐えうるものを選んでまとめてみました。

 


3月9日 再起動・新しい記事をアップしました


→ 桜記2020【1】 ― 長野市「ぱてぃお大門」の河津桜

 「日々の写真」を始めてから、初めて3日間更新しませんでした。
 というわけで、ご無沙汰しております。

 毎年、氷彫刻の記事を完成させると「プチ燃え尽き症候群」に罹って、数日間ぼんやり暮らすことが恒例で、今年も例にもれず口を半開きで斜め上を向いてボーッとしていました。

 そして、ハッと我に返った土曜日。
 1か月間まともにカメラを手にしていなかったので、そろそろ撮影せねばと思い立ち、買い物のついでに善光寺参道スナップに出掛けました。
 数年前から、「ブランク明けの肩慣らしと言えば善光寺」「撮影感覚が狂ったら善光寺」と、いわば私のリハビリ施設のようになっている善光寺参道にカメラを片手に向かいます。

 参道スナップではいつも長野駅前あたりから善光寺を目指して上っていくのですが、1か月のブランクというものは恐ろしく、びっくりするほど感覚が鈍っていて、久しぶりにヤバいなこれは、と焦りました。
 撮れない撮れないと色んなものにレンズを向けているうちに、なんとなくエンジンが温まってきたのかポツポツと撮れるようになり、そのうちにやっと感覚が戻って絶好調になりました。

 感覚が戻ったことで安心して調子に乗って、最終的には馬鹿みたいに500枚近くも撮りました。
 いくら撮っても、大抵は1記事分にしかならないのですが。

 カメラはスポーツじゃないですが、やはり常にカメラを持ってなにかしら撮っているのが、スキル維持には大切なのだと改めて感じました。

 再起動として、善光寺参道で咲いていた河津桜の記事でスタートです。

 


3月5日 一区切り
EOS5D Mark IV + EF50mm F1.2L USM + Rクロススクリーン

 昨日からずっと脇目もふらずPCと向かい合って、氷彫刻の記事をようやく完成させることができた。

→ 平田浩一 中寺吉宣 氷彫刻 ”ファミリー”【1】~【11】

 終わらないのではないかと思うものにも、やがて終着点は見えてくる。
 終わってみれば、ひとしきりの達成感のあとに、ああすればよかったこうすればよかったと反省ばかりが脳裏に浮かぶ。
 今年もまた、そんなことを繰り返した。

 来年はもっとましな写真が撮れるだろうか。
 来年はもっと伝わる文章が書けるだろうか。
 平田さんのように、今の自分をライバルとして、さらなるベストを目指すしかない。
 「去年の自分よりは上手くなった」と、胸を張って言えるようになりたい。

 ようやくこれで、この冬に別れを告げる用意ができた。
 心機一転、明日から春支度を始めよう。

 


3月3日 春のザワザワ
EOS5D + EF135mm F2L USM

 今日みたいな春の日が昔から苦手だ。
 胸の奥底がザワザワざわめいて、どこか心許なくなってしまう。

 別に具体的な不安要素があるわけではない(あるにはあるが取るに足らない)ので、これは春に対する身体的反応なのだと思う。

 おそらく人間が厳しい自然に耐えながら生活していた頃の名残りで、「忍耐の冬」から「活動の春」への切り替えを身体が覚えていて、この時期にそれを自動的にやっているのだろう。

 ただ、人間も電車と同じで、レール上の切り替えポイントを通過する時は、なにかとガタガタ揺れるのである。
 私のようなぼんやり生きてる鈍行電車は特にそうだ。

 今日みたいに、晴れて日の光が強く、空気が霞んでいて、どこもかしこも「ハイキー・ローコントラスト」な春の日は、とにかく落ち着かないし、溜め息が出て困ってしまう。

 


3月2日 佳境
EOS5D Mark II + EF500mm F4 L IS USM

 氷彫刻の記事作りがいよいよ佳境に入ってきている。
 というか、いろいろあってここまでずれ込んでしまってかなり反省している。
 この記事が終わらなければ俺に春は来ないんだ。
 そうだ、がんばれ俺。

 


3月1日 早春の味
EOS5D Mark IV + EF100mm F2.8L Macro IS USM

 コロナウイルスの関係で、雑踏に出向くのも良くないと思いつつ、終日家に閉じこもっているのも不健康なので、人のいない郊外を7キロほど散歩した。

 散歩の途中で、日当たりの良い土手にフキノトウがかなり顔を出し始めていたので、突発的山菜採りをしながら歩いた。

 図らずも春の幸を手にしてしまったので、これはしっかりと満喫しないとフキノトウに失礼である、と結論づけて、夕飯は春祭りということになった。

→ フキノトウの天ぷら

 新鮮なフキノトウが獲れたならば、天ぷらという選択は外せない。
 薄めのカリッとした衣でさっと揚げて、塩でいただく。

→ ふき味噌

 天ぷらに使った余りは、刻んでふき味噌にした。
 まだ若いフキノトウが多かったので、苦味もそれほど強くなく、とても上品な味に仕上がったと思う。
 春の香りが一杯に広がる。

 子供の頃はフキノトウなんて苦くて何が美味いんだこんなもの、と思っていたが、大人になって酒を飲むようになると、こんなに美味いものはないと思えてきたので不思議だ。
 もちろん、今宵の宴は美味しい日本酒をいただいた。

 幸せな春の宵なのだった。

 


 

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