ハミダシ写真と文 2020年2月

2月29日 コロナウイルスは馬鹿を炙り出す
EOS5D Mark II + EF100mm F2.8L Macro IS USM

 街中の店の棚から、水回り用の紙類が消えている。
 妻がドラッグストアに行ったら、皆アホみたいに大量の紙類をカゴに放り込んでレジに長蛇の列をなすという、あまりにも狂気じみた光景が広がっていて、呆れるし腹は立つしで何も買わずに帰ってきたのだそうだ。

 非常に毒のある言い方だと自覚しているが、こういう世間的に危機感が煽られる状況になると、普段は目立たない「隠れ馬鹿」が炙り出される。
 その「隠れ馬鹿」の特徴は以下のとおりである。

  •  人やメディアの言うことを鵜呑みにする。
  •  噂話が大好き。
  •  皆がやっているから正しいと思う。
  •  自分で調べない。
  •  調べても、得られた情報を比較検討できない。
  •  恐怖感はあるが、思考力がない。
  •  ただ怖がるばかりで、「何が危険なのか」が分かっていないし、知ろうともしない。
  •  「先んじて得しよう」という欲が人一倍強い。

 平時においては、TV番組やCMを素直に信じる「無邪気な消費者」として日本経済を回しているのだが、こういう危機的状況になると、その馬鹿さ加減が一気に暴走して社会を混乱に陥れる。

 病原体を抑えるだけでなくて、こういう「隠れ馬鹿」の暴走を抑えなければ、社会的状況はさらに悪化していくばかりだろう。

 こういう時だからこそ自分の愚かさを自覚して、自重すべきところはするといった配慮が必要だろうと思っている。

 


2月28日 モノクロ花火
EOS5D Mark II + EF50mm F1.2L USM

 今日は写真のみの投稿です。
 うう~、忙しいー。

 


2月27日 【再告知】平田浩一さんがテレビに出演します

 25日の記事でお伝えしましたが、本日深夜25:59~、CBCテレビ『2位じゃダメなんで!』に氷彫刻師の平田浩一さんが出演します。
 中部地方にお住まいの方はぜひ。

 

EOS5D Mark IV + EF70-200mm F2.8L IS II USM

 私はこんな時に限って、毎日のように突発事案に襲われて、なかなかカメラやパソコンに触ることもできません。
 この時期は気忙しくて嫌だなぁ。

 


2月25日 【告知】テレビ放送のお知らせ

 先日行われた「国宝松本城氷彫フェスティバル・チャンピオンシップ」にTVの密着取材が入りました。
 番組HPの紹介文にある「氷彫刻の神」として、平田浩一さんが登場します。
 このブログからも平田さん関係の写真を番組に提供しています(使われているかは見てのお楽しみです←私にもわかりません)。

 

 氷彫刻師たちの熱いドラマにご期待ください!

 制作がCBCなので放送は中部圏のみとなりますが、受信圏内の方はぜひ。
 私は残念ながら圏外なので視聴できません(涙)。
 Tverとかで配信してもらえるとありがたいのですが・・・

EOS5D Mark IV + EF70-200mm F2.8L IS II USM


 


2月24日 過去の写真をリニューアルしてアップしました


 本腰入れて氷彫刻の記事を進めなければいけないので、今日もリニューアル版のアップで失礼します。
 今回は大町市の中山高原の菜の花(春)とソバの花(秋)です。
 丘陵に咲く一面の花と超望遠の圧縮効果の組み合わせは絶大だと思います。

→ 大町市「中山高原」の菜の花2010 ― 幻の池

→ 大町市「中山高原」のソバの花2010

 今でもソバの花は健在なんですが、菜の花は度重なる連作障害と鹿による食害で、最盛期の圧倒的な光景は今では見ることができなくなってしまいました。
 私のなかでベストだったのはこの前年で、まさに黄色一色という忘れ得ぬ光景でした。

→ 大町市「中山高原」の菜の花2009 ― 黄色の海

 いつか地力が回復したら、こんな光景をもう一度見てみたいものです。

 


2月23日 過去の写真をリニューアルしてアップしました

 今日も過去記事のリニューアルアップです。

→  桜記2009 ― 松本市「弘法山古墳公園」の桜

→  桜記2011 ― 伊那市「伊那公園」の夜桜

 かつて桜は、私の最も苦手とする被写体の一つでしたが、写真を初めて数年後になにか悟りのようなものを得て、それからは嬉しくてバカみたいに撮るようになり、現在に至ります。
 2011年ころまでは、私生活が孤独だったので写真にもそういう「人恋しさ」みたいなものが滲んでいる気がします。この頃はとにかく、人の幸せそうな姿が眩しくて、羨ましいような切ないような微笑ましいような、複雑な心境で撮っていた記憶があります。この頃の写真は「桜と人と、それを見つめる私」でした。
 その後数年してようやく、「桜と私」という一人称の写真も撮れるようになった気がします。
 今は、その時に応じて両方の写真を撮ります。
 同じものを撮ったとしても、撮り手の立ち位置によって、おそらく写真は変わります。

 


2月22日 ソール・ライター風に異議あり
EOS5D Mark II + EF70-200mm F2.8L IS II USM + ND

 NHKEテレ『日曜美術館』で先日放送された写真家ソール・ライターの特集回を遅ればせながら見た。
 ソール・ライターの写真はとても好きだったので、とても興味深く見ることができた。
 ただ、番組の所々にある現役の写真家が登場して、「ソール・ライター風写真」を撮るという番組内企画があって、それがなんともお粗末だった。

 その写真家が、ソール・ライターの写真からいくつかの共通した特徴、
「画面上にワンポイントの鮮やかな色を配置する」
「物の隙間越しに被写体を小さく配置する覗き見の構図」
「画面の大半を単純化し、主たる被写体を三分の一に閉じ込める」
「ガラス越し、または雨粒に濡れたガラス越しに撮影する」
を抽出して、それらを使ってソール・ライター風の写真を撮ってみる、というものだった。
 ソール・ライターが撮影の本拠にしていたニューヨークにその写真家が出向いていって、ソール・ライター的手法を用いて写真を撮るのだが、その写真がなんともソール・ライターの写真とは似ても似つかぬものであった。
 その実際の放送に使われた写真が、
              → ここ
に掲載されているので、興味のある方はご覧頂きたい。

 ここには写真家の作品がソール・ライターの作品と並べて掲載されているが、画面構成の厳しさとか、色の配置とか、被写体の強さとか、何を取ってもソール・ライターの写真には及びもつかないと感じる。
 小手先でテクニックだけをなぞっただけでは、決して巨匠の偉業には近づけないんだぞという戒めを体現したような写真だった。

 穿った見方をすれば、この「なんちゃって写真」によって、かえってソール・ライターの「本物の凄さ」を実感したので、番組的には意義ある企画だったのかもしれない。

 ここまでの話ならまだよかった。

 番組を見た後、この写真家について調べたところ、この写真家は「スナップの天才ソール・ライターの技を解剖して自分のものにする撮影講座」などという有料の講座を開催していることが分かったのだ。
 まず、写真家本人が到底ものにできていないソール・ライターの技をわざわざ金を取って人に教えようという度胸に唖然とする。

 写真を始めたばかりの頃は、誰しも巨匠の手法を真似てみたくなるものだ。テクニックで攻めていけば、写真が上達すると思うからだ。
 だが写真を続けるうちに、そういうテクニックだけで写真は撮れないことを思い知らされることになる。
 そこに気づくことも、写真の上達への一歩だと私は思う。
 写真でメシを食っているプロの写真家なら、そんなことは百も承知だと思ったのに、なぜわざわざ人の真似事みたいなことを推奨するのだろうか。

 写真を始めたばかりの初心者ならまだしも、写真に対してより熟練しているであろう職業写真家のやることではない、と私は思う。
 写真を教える立場の者であるなら、せめて「人の写真のうわべをなぞっただけでは自分の写真を撮れるようにはならないよ」という戒めを、写真を志す人々に与える存在であってほしい。
     


2月21日 過去の写真をリニューアルしてアップしました


→ 桜記2010 ― 高遠城址公園の桜

 物心ついてからずっと桜の基準はソメイヨシノだったので、ここの固有種である「タカトオコヒガンザクラ」の「ザ・桜色」に埋め尽くされた景色を初めて見て、その美しさに呆然としたことを思い出します。
 ここの桜の写真は、一見してレタッチで彩度上げてるように見えますが、完全に見たままの色です。
 城跡の山を埋め尽くす人で毎年大変なことになりますが、桜の下にいる人達は皆どこか幸せそうで、春の雰囲気に満ちていて、写真を撮るのも楽しくなります。

 ここは夜桜の時間帯になると、定番の構図で撮れる人気ポイントがあり、三脚の列と撮影待ちの長い行列ができます。
 当時は今にもまして撮影に対して尖っていたので、「並んで撮らなくたって、他にも素晴らしい景色があるんだぞ」と、天の邪鬼精神丸出しで、人の撮らないシチュエーションやアングルばかりを狙って、鼻息荒く撮った記憶があります。

 いまこうして当時の写真を見返してみると、それもあながち間違いではなかったなと感じます。
 人と同じような撮り方をしていると、なんだかつまらなくなってくるのは今も同じです。

 


2月20日 世界に一つだけの花?
EOS5D Mark II + EF85mm F1.8 USM

 今日のネットニュースで、「東京五輪のセレモニーで予定されていた『世界に一つだけの花』の披露計画が作者の逮捕によって立ち消えとなった」という記事を見た。
 ゴシップ誌が書いたもので真偽は定かではないが、もし本当なら、計画が立ち消えとなって心から良かったと思う。

 そもそも、「No.1にならなくてもいい」で始まる歌を、人生を掛けてNo.1を目指している競技者たちの前で歌うのか。
 「それぞれが特別なオンリーワンなんだから、金メダルなんか獲れなくてもいいじゃない」
なんて甘っちょろいメッセージをスポーツの祭典で世界へ向け語るのか。
 日本人はどうかしていると言われるだろう。
 本当に失礼な話である。

 私は昔からこの『世界に一つだけの花』という歌がひどく嫌いだった。
 SMAPが歌って大ヒットして以降、あらゆるシーンでこの曲が流れるたびに不快な思いをしてきた。
 そして今、作者が薬物で逮捕されたことによって、この曲が変な脚光を浴びている。
「曲に罪はない」
みたいなことをよく言われているが、むしろ私は「この曲こそが罪な曲だ」と言いたい。

 「人はそれぞれが元々特別なオンリーワンの存在なのだから、No.1になるために誰かと比べたり争ったりしなくていい」
 「元々オンリーワンである我々は、それぞれ違う才能や個性を持つのだから、それを発揮することだけを一生懸命やればいい」
 この歌の趣旨は、だいたいこのようなものだと理解している。

 ではそもそも作者は、人間はそれぞれが「もともと特別なオンリーワン」であることをどうして知り得たのか。
 人それぞれが「もともと特別なオンリーワン」であると断言できる根拠は何か。
 例えば、この歌の作者のような「歌が上手に歌える」「ヒットソングの作詞作曲ができる」というのは、特別なオンリーワンにふさわしい才能だと言えるかもしれない。
 だが、その才能が「特別なオンリーワン」であるかどうかは、自分だけでは分からない。なぜなら、自分と同じような人が他にも沢山いるかもしれないからだ。
 つまり、自他を比較して「できる自分」と「できない他者」とを区別しなければ、自分が特別なオンリーワンかどうかなど判定のしようがない。
 「特別なオンリーワン」という文言は、他者との比較なしには成立しえない概念なのである。

 だが、作者は「他人と比べるな」と説く。
 どうして他者と自分とを比較することなしに、「自分はオンリーワンだ」と胸を張って言えるのか。
 自分が平凡かもしれないという潜在的な疑念を抱きつつ、ただ勢いで「私はオンリーワン」と虚勢を張ってみる遊びなのか。
 そうでないとしたら、自分が特別であることを確認するために、実は無意識に他者と自分を比べているとしか考えられない。
 表向きには「比べるのをやめましょう」とか「順番をつけるのはやめましょう」なんて綺麗事を謳いながら、心の底では他人と自分の可否優劣を細かく比較点検して、ひそかな優越感に浸っている。
 表向きには博愛平等、しかしやっていることは真逆だ。
 卑屈だなと思う。
 だから、この歌を聞くと不快になる。

 最近の運動会のかけっこで「かわいそうなので順位はつけない」と聞いた時も同じ気分になった。
 だったら、最初からかけっこなどしないほうがいい。
 順位は「つける」ものではなく、自ずと「つく」ものである。
 4人で走れば、1位から4位まで自動的に順位はつくのである。
 「かわいそうだから順位はつけません」と言ってみたところで、それは現実から目を背けているだけのことだ。

 そういう現実から目を背けず、他者よりも優れた成績をあげようと努力し続ける人達がいる。
 スポーツ選手などまさにそうだ。
 努力して努力して、その果てにやっと掴み取ったNo.1は尊い。
 そして、No.1には届かなかったけれど、No.1を目指して努力した結果もまた尊いものである。
 だから金メダルの次に、銀メダルがあり、銅メダルがあるのだ。
 銀と銅は2位3位への慰めなどではない。
 共に金メダルを目指したその努力を讃えているのである。
 この歌には、そういう高みを目指すものへの敬意がない。

 No.1になれないことへの鬱屈を、「世界で一つ」とか「特別なオンリーワン」のような自己欺瞞の論理で上書きすべきではないと私は思う。
 これでは、No.1を目指してひたむきに頑張っている人々がまるで救われないではないか。

 No.1になれるならなったほうがいい。No.1は尊い。
 No.1になれないことも往々にしてある。でもそれは悪いことではない。
 No.1でなくても人は十分に生きていける。
 だが、No.1になるチャンスは常に残されている。
 だから、努力し続けるのもまた尊い。
 限界を感じたら、違うステージで勝負してみてもいい。ステージの数だけNo.1はあるのだから。
 自分が特別なオンリーワンかどうかは、元々決まってなどいない。
 他者と自分を比べ続けることで、それはきっと最後に分かるだろう。
 他者と比べることから逃げつつ「自分はオンリーワンだ」などと言うのは百年早いことだ。

『世界に一つだけの花』を聞くたびに、そんなことを思う。(了)


 氷彫刻の記事を進めなければいけないんですが、あまりにも以前から悶々としていた内容だったので書いてしまいました。
 長文失礼しました。

 


2月19日 今日もまた過去の写真をリニューアルしてアップしました

 

→ 野焼き

 まだ風は冷たいけれど、明らかに太陽の力が増していることを実感する早春の日に、この野焼きは行われます。
 冬枯れの茅原が、紅蓮の炎と黒煙を上げて青空へと昇っていくのを見て「ああ、これは冬の送り火なんだな」と思いました。
 安曇野の冬と春を分かつ、小さな里程標です。

 


2月18日 過去の写真をリニューアルしてアップしました

 

→ 夕陽を見に行く

 この頃はまだ、写真を撮るためだけに海へ行くという行為自体に慣れていなくて、片道70キロの単独ドライブにけっこうドキドキしていたことを思い出します。
 晴れたり曇ったり雨が降ったりをたった数時間のうちに繰り返す海沿いのめくるめく天候に、山国育ちの私はいたく感銘を受けたのでした。

 


2月17日 局面打破
EOS5D + EF135mm F2L USM

 足掻いても足掻いてもどうにもならない時、突然それまで互いに無縁に見えたいくつもの点が、一本の線で一気に繋がるようにして難局面が打破されるということがたまにある。

 今日も、そういう経験をした。

 そういう時は自分の努力が実ったというよりも、なにかの導きがあったものと思って、よくよく心の耳を澄ますことにしている。

 人生には、後になって振り返って初めて、その意味を理解することが結構あるのだ。

 


2月16日 ひきこもり
EOS5D Mark IV + EF300mm F2.8 L IS USM

 久しぶりに、一日中家から一歩も外に出なかった。
 「出られない」ことはあったが、自主的に「出ない」というのはどれくらいぶりだろう。

 今日の行動を振り返ってみると、朝起きてお茶飲んでテレビ見て昼食べてテレビ見て氷彫刻のブログ書いて家の中で運動して夕飯作って酒飲みながら食べてテレビ見ていまブログを書いている。
 この後、風呂に入ってまた氷彫刻のブログを書く。

 若い頃はかなりのインドア派で、食糧さえあればどれだけ籠城しても平気だった。
 だが、写真をやるようになって生活が一変した。
 写真が私を外に連れ出してくれるようになった。
 時間があれば、外出することがいつしか普通になっていた。

 久しぶりにこんな生活をすると、なんだか昔のことを思い出す。
 希薄な時間が知らぬうちに流れて、いつの間にか夜になっている。
 一日を無為に過ごしたわけではないのだけれど、風呂の水を出しっぱなしにして湯船を溢れさせてしまったような、かすかな後悔が頭をよぎる。

 外は雨が降っている。

 


2月15日 慣れる
EOS5D + EF50mm F1.2L USM

 氷彫刻の記事は、ようやく本文を書く段階に入った。

 毎年、この「文字にする」というプロセスがかなり辛くて、書いては消し書いては消し、行きつ戻りつを繰り返してなかなか進まないという産みの苦しみを味わうのだが、今回はちょっと違う。

 昨年の秋から、この「日々の写真」で毎日駄文を書き連ねているせいなのか、私の中でいつもの「書くことへの抵抗感」が薄れているようだ。
 技術的な障壁はまだまだ残ってはいるものの、精神的な障壁は以前よりも随分と低くなったような気がしている。
 これが多分、「慣れ」というものなのだろう。
 慣れという名の、ささやかな進歩だ。

 私は堪え性ないたちなので、何かにつけて初めて自転車に乗れた時の如き劇的なブレークスルーを期待しがちだ。
 しかし、こういう「いつの間にかできるようになっていた」という日時計の影針が動いていくかのようなかすかな進歩こそ、人生にとっては尊いものなのかもしれない。

 とはいえ私にとって、文を書くのは写真と比べてとても煩雑で骨が折れることに変わりはない。
 写真を撮るように文章を書けるのだったら、たぶん物書きを目指していただろう。

 おそらく、これが適性というものなのかもしれない。

 天は二物も三物も与える力があると思うが、肝心の私の方に受領する能力がない。
 肝心の一物でさえ、受け取れているかには不安が残る。

 やはり、地道にやるしか道はなさそうな気配だ。

 


2月14日 夜型人間はたくさん寝ると逆に疲れる
EOS5D Mark IV + EF70-200mm F2.8L IS II USM

 昨日は図らずも半ば恒例となった「睡眠負債解消日」になってしまって、宵のうちから寝入って、そのまま朝を迎えてしまった。
 そうやって泥のように眠ると完全充電になると思いきや、普段よりも日中になぜか眠くなるのだ。いわゆる過充電というやつであろう。
 午前2時か3時ころに寝るのが写真をやる上ではベストな気がする。
 毎晩毎晩、深夜遅くまでいろいろやるのではなく、早寝早起き、朝方生活に切り替えてクリエイティブな午前を心掛ければいいのではないか、とこれまでどれほどの忠告を受けたか分からないが、多分この夜型生活は死ぬまで治らない。
 最新の研究では、朝方夜型の体質は遺伝子レベルで先天的に決まることがわかってきたそうだ。
 私の夜型は、間違いなくそういう類のものである。

 氷彫刻の写真の現像が終わった。
 560枚を連続で現像したら3時間くらいかかった。
 なんとか2月下旬までには形にしたい。

 


2月12日 RAW現像
EOS5D Mark IV + EF24mm F1.4L II USM

 氷彫刻の写真は一次選定が終わったら、選定したすべてのRAWファイルを補正した上で現像して、その中から使えるものとそうでないものを実際の記事に当てはめながら取捨選択していく。
 記事を書きながら現像の不備に気づくとまたRAW現像をし直す手間が発生するので、この段階で補正は完璧にしておく必要がある。

 氷彫刻写真の場合は1枚ものでない上に、すべての写真に氷が写っているので、全体を通した「氷の質感」には気を使う。
 最も注意を払っているのは「色温度」で、この大会は白熱灯による照明なので、基本的には「白熱電球」用の色温度を使う。
 だが、環境光の変化や写真ごとの微妙な色のバラつきがあるから、そのまま全てに「白熱電球」を適用すると、やけに赤っぽい氷や、青すぎる氷になるショットが出てくる。

 あと、氷彫刻の写真で難しいのは、「夜の暗がりの中の照明を浴びた白い氷」というシチュエーションでの撮影なので、多くのシーンで、どうしてもラチチュードギリギリになる。
 暗い部分を持ち上げようと露出をプラス補正すれば氷のハイライトは飛んでしまうし、氷の質感を残そうとすれば今度はシャドー部が大幅に落ち込む。
 到底、JPEG一発勝負なんていうかっこいいことを言っていられる境地ではなく、補正を前提にRAWで撮って、辛うじて破綻のない写真にできるレベルだ。
 
 氷彫刻を見てもらうための記事なので、やはり氷は氷らしく写っていなくては始まらない。
 だから、一枚一枚に違う処理をする必要が出てくる。
 これにえらく時間がかかるのだ。

 しかし、面倒臭がってこのプロセスを簡略化すると、後で痛い目を見るのは自分なので侮れない。

 毎晩日付が変わった頃に、いつ終わるとも分からないRAWとのにらめっこが始まる。
 さあ、今夜もがんばろう。

 


2月11日 途中経過
EOS5D + EF180mm F3.5L Macro USM

 氷彫フェスの写真の第一次選定が終わって、3,457枚から562枚となり、二次選定と調整作業に入っている。
 一時選定は膨大なボツ写真の排除と、記事に使える写真を構成を考えつつ拾っていくというダブル作業で、記事にするための全工程の中で最も大変な作業といえる。
 その作業をなんとか終えたので、進捗率は55%くらいといったところか。
 しかし、まだまだ道程は遠い。

 


2月10日 新しい記事を投稿しました


→ 若一王子神社、冬の陰影

 撮るものがないなー、と撮影せずにいると必ず勘が鈍ってしまうので、とにかく出掛けていって無理やり何かを撮ってしまうというのが、最近の正しい選択のような気がする。
 というわけで、今回はそういう勘をキープするための撮影です。

 


2月9日 他人の空似か本人か
EOS5D Mark IV + EF70-200mm F2.8L IS II USM

 氷彫フェスティバルを夜通し撮影中、時計は丑三つ時を回ろうとしていた頃のことだ。

 私は氷彫刻を撮っている間、たまに振り返って会場内を見渡したりする。
 この時も、何の気なしにあたりをぐるっと見て、またすぐに氷彫刻撮影に戻った。
 だが、なぜか私は心のなかで「ん?」と思った。何かが引っかかるな、と思った。
 これは頭では気づいていないけれど、身体が先に反応するというやつだ。この変な違和感は何だ。

 その違和感に耐えられず、再び私は会場内に目を向ける。
 すると、深夜で人出もまばらになった観客席の後ろの方に、氷彫刻制作を遠巻きに見ながら、タブレット端末をいじって立っている人がいる。
 それを見てすぐに、彼が違和感の発生源であることが分かった。なぜなら、彼は私の旧友にとても良く似ていたからである。
 だがしかし、旧友が厳寒の深夜に氷彫刻制作を見に来るはずがない。
 私が振り返って、彼に目を凝らしていても、彼は氷彫刻の方をじっと見たままで私の方を見ようともしない。
 これはおそらく、他人の空似というやつだろう。
 それにしてもよく似ている。

 そしてまた私は撮影に戻った。
 だが、彼のことがどうしても頭を離れない。
 あまりにも似ている。だが、私のことを関知していない。なぜだなぜだ。
 もう一回振り返る。
 やっぱり、彼はまっすぐ前を見たまま動かない。
 仕方なく私は撮影に戻る。
 でもやっぱり気になる。
 頭の中が激しく混乱して、これはもういよいよ氷彫刻撮影どころではないぞ、と思いつつ、もう一度彼の方を振り返る。

 すると、彼はこっちを見て静かに微笑みながら、私に向かって手を振って見せ「見に来ました―」と言ったのだった。
 やはり、彼は旧友その人なのだった。
 びっくりしたなあもう。

 聞けば彼は、私のブログを見ていままさに氷彫刻制作が行われていることを知り、土曜日仕事の後だというのに、わざわざ遠路はるばる深夜の会場に足を運んでくれたらしい。本当にありがたいことだ。

 彼とは中学の同級生だが、ぼんやりと消去法的人生を歩んできた私と違って、彼は人間としてとても立派な生活を送っている。
 20代で故郷の町を出て働きつつ結婚し3児の父となり、信濃の偉大なる氏子の仲間入りをして、坂を駆け下る聖なる巨木にも幾度か乗っている。家庭を愛する頼れる男だ。
 私とは、人生の重みがぜんぜん違うのだ。
 彼もこれまで相当な苦労を乗り越えてきたはずで、人間的に擦れてしまってもなんの不思議もないのだが、誠実さとか純粋さみたいなものは中学時代と全く変わっていなくて、彼に会うたびに心が洗われる思いなのである。

 サウイフモノニワタシ『モ』ナリタイ。

 


2月8日 「写真県展」を観に行く
EOS5D Mark II + EF50mm F1.2L USM

 松本市美術館の市民ギャラリーで「第69回 写真県展」の作品展が開催されており、会期が6日から9日までで、最後の巡回日程であることもあって急いで観に行ってきた。
 自分ではコンテストへ応募することはまずないのだが、コンテストの入選作品展は大好物なのだ。

 この作品展では、「自由作品の部」「ネイチャー作品の部」「組写真の部」「学生の部」に応募された合計4,934点の中から、入選した303点※出典が展示されている。

 まず気になったのが、学生の部19点を除いた入選作284点のうち個人での入選はわずかしかなく、残りはすべて、この県展を主催する「長野県写真連盟」に加入する写真クラブの会員か、連盟の個人会員で占められていた。
 連盟の主催するコンテストとはいえ、あまりにも露骨な審査結果で呆れた。

 次に、入選作、特に写真クラブ会員による作品を全体的に見渡して、
「写真クラブに加入するメリットは果たしてあるのか」
という疑問を強く感じた。
 さらに、写真クラブに所属することによって、変な癖がついているような写真が多いように感じた。

 同じ被写体に向かい合ったとしても、見える景色は隣の人とは違う。
 一つのファインダーを、二人で覗くことはできない。
 みんなで仲良く、もいいが、それは写真を撮るのとは別の問題だ。
 写真クラブの顧問だけが先生ではない。
 もっと世界を広く見たほうがいい。

 どうしてもカメラの取説を読むのが面倒だったり、機械音痴で何をどう操作していいか分からないので教えてほしい、みたいな人は別として、自分でシャッターを切れるようになったのなら、とっとと独りで撮りたいものを撮って、撮れたものと独りでしっかり向き合うのが良いと強く思う。

 素晴らしい作品もいくつかはあったものの、写真との向き合い方に厳しさが感じられないものも多くてちょっと残念だった。

 


2月7日 ロラン・バルト「明るい部屋」
EOS5D + EF135mm F2L USM

 写真論を語る上で必読とされるものの一つと言われるロラン・バルト著『明るい部屋 ー 写真についての覚書』を読んでいる。

 読み始めたばかりなので、内容についてはまだなんとも言えないが、とにかく読んでいてイライラする本だ。なぜかというと、要は「訳文が悪文」だからなのだ。

 やたらといろんなところを括弧でくくって、大注釈大会みたいになっていて、読みにくくて仕方ない。

 例えば、こんな感じである。

 私にとって風景写真は(都市のものであれ田舎のものであれ)、訪れることのできるものではなく、住むことのできるものでなければならない。この居住の欲望は、自分自身の心に照らしてよく観察すると、夢幻的なものでない(私は非日常的な場所を夢見ているわけではない)し、また、経験的なものでもない(私は不動産屋の案内広告の写真を見て、家を買おうとしているわけではない)。
【P53】

 こんな感じの文章が、最初から最後まで延々と続く。そして、これとてまだ混み入っていない文章のうちで、これ以上にカオスな悪文が巨大山脈のように連なっているのだ。
 本当に「翻訳臭い」文章で辟易する。

 そもそも、括弧は必要なのか。

【改訂版】
 私にとって風景写真は、それが都市のものであれ田舎のものであれ、訪れることのできるものではなく、住むことのできるものでなければならない。
 この居住の欲望は、自分自身の心に照らしてよく観察すると、非日常的な場所を夢見るといったような夢幻的なものではないし、また不動産屋の案内広告の写真を見て家を買おうとするような経験的なものでもない。

 括弧を使わなくても、十分に意味が通じはしないか。

 修飾・被修飾の方向や方法の異なる外国語を、そのままの順序で日本語にするのは、はっきり言って翻訳家の怠慢だ。
 外国語には長けているのかもしれないが、日本語はあまり上手じゃない。

 こんな悪文のせいで、読むのに無駄な労力を要する恐ろしい本なのだ。
 時間と体力のある時に読み進めたいと思う。

 


2月6日 過去記事をリニューアルしてアップしました

 立春を過ぎたところに忘れていたかのような大寒波が襲来しておりますが、あとふた月もしないうちに、こんな光溢れる景色がやってくるんですね。
 そろそろ春を迎える心の準備を。

→ 桜記2010 ー 飯田と伊那の桜

→ 桜記2008 ー 松本城雨桜

 氷彫刻記事編集中のブログ更新をどう凌いでいくか、という命題に直面しているわけですが、この日のための過去記事ストックが結構あるので、例年よりも精神的に健康です。
 さて、今夜も氷彫氷彫・・・。

 


2月5日 睡蓮
EOS5D + EF135mm F2L USM

 今日は写真のみの投稿です。

 


2月4日 氷彫刻撮影の目的
EOS5D Mark II + EF135mm F2L USM

 他の写真と違って、氷彫刻の写真はとにかく「皆にもっと氷彫刻の素晴らしさを知ってもらいたい」という情熱を持ってやっている。だから、私の写真がちょっとでも氷彫刻界や平田浩一さんの名を世に知らしめる一助となれば、最初の大きな目的は達成したことになる。

 今日また、そんな目的を果たせそうな話をある所から頂いた。
 内容はそのうち告知できると思うが、とにかく嬉しいし、励みになる。

 氷彫刻界の益々の隆盛と平田さんの知名度アップを祈念しつつ、今日も氷彫フェスの写真をチェックしている。

 


2月3日 シャッターチャンス
EOS5D + EF50mm F1.2L USM

 氷彫刻を撮っていて感じたのだが、最良のシャッターチャンスはそれに気づいた時にはすでに遅い。
 何か別のことに気を取られていて、ふいに「あ、いいシーンだな」と思いカメラを構えても、フレーミングした時点で既にシャッターチャンスは過ぎ去っていることの方が圧倒的に多かった。

 おそらく、シャッターチャンスを「見逃さない」というのはあまり適切な方法論とは言えなくて、正しくはシャッターチャンスを「予期しそびれない」だと思うのだ。

 良いシーンの到来を事前に予期して、いつでもシャッターを切れるようフレーミングを完了させて待機する。そうしなければ、多分「ベストな瞬間」は撮れないのではないか。

 そういう予期ができるようになるにはどうするか。
 そこに偉大なるフォースの導きがない限り、被写体のことをもっと深く知って、何度も同じ被写体を繰り返し撮って、「次にどう動くのか」「次に何が起こるのか」という勘を磨くほかない。

 だから、歴史に残る「決定的瞬間!」のような写真を撮らせたのは多分運ではなくて、撮影者が意識的にもしくは無意識に続けた努力だと思うのだ。
 いや、実際は運の有無も少なからず影響を及ぼすかもしれないが、カメラを適切に構えて待っていない限りは、幸運はレンズの前を素通りしていくだけになってしまうのは間違いない。

 写真は、ファインダーを覗いている時の努力も、覗いていない時の努力も、多分同じくらい大切なのだと思った。

 


2月2日 氷彫フェスティバル2020撮了
EOS5D Mark IV + EF70-200mm F2.8L IS II USM

現場入り~撮了 17時間30分
総撮影枚数 3,457枚

 撮ってきました。
 素晴らしい大会でした。
 作品の出来や制作風景が素晴らしかったのはもちろんのこと、今回は「氷彫刻師としての矜持」に圧倒された大会でした。
 語るべきことは沢山ありますが、まずは写真の選定からスタートです。

 


2月1日 国宝松本城氷彫フェスティバル

 

【自作】非公式ポスター

 本日夕方~翌朝、松本城公園において「全国氷彫コンクール ワールドチャンピオンシップ」が開催されています。
 私も朝まで密着撮影中です。
 当ブログでおなじみ平田浩一さんも参戦中。
 お近くの方はぜひ会場へ!


【公式WEBサイト】
【公式パンフレット(PDF)】
【参加選手一覧(PDF)】

→ これまでの氷彫刻関連の記事はこちら

 


 

「ハミダシ写真と文」バックナンバー

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。