ハミダシ写真と文 2020年6月

6月30日 月刊『医道の日本』7月号に写真が採用されました
医道の日本2020年7月号
医道の日本2020年7月号

 この度ご縁があって、東洋医学・鍼灸マッサージの専門誌、月刊『医道の日本』7月号の表紙写真(及び裏表紙・扉)として、以前に撮影したハスとミツバチの写真を採用していただいた。

 『医道の日本』は1938年10月に創刊され、82年間にわたって発行されてきた歴史ある月刊誌だが、この2020年7月号(通巻922号)をもって、残念ながら休刊が決定したとのことだ。
 その休刊号の表紙写真として、東洋医学に関わりの深い「ハスの花」、伝統医学に関わりの深い「ミツバチ」、さらに「いのちをつなぐ」という意味合いで「花粉を運ぶミツバチ」の写真を探していたところ、この広いネットの中から編集者の方がこのブログを見つけてくださったそうだ。

 これまでにも様々なメディアで写真を使って貰ったことがあるが、やはり書籍の表紙を飾れるというのは、いつにもまして特別な感慨がある。

 私はストックフォト等には登録せず、こういう場末のブログを非営利で細々とやっているだけなのだけれど、自分の撮った写真がこうやって、写真関連メディアの延長線上ではない場所で誰かの役に立てるというのは、撮影者としてとても嬉しい。
 また、私が写真を続けていく上での貴重な一歩にもなったと思う。

 これからも自分の写真を撮ることを一生懸命やっていくのはもちろんだが、さらに誰かの役に立てるような写真を撮っていければ、と考えている。 

→ 月刊『医道の日本』2020年7月号(公式サイト)


※ちなみに、採用された写真は、
→ 蓮記2017【6】 ― ハスにミツバチ
の未公開ショットとなります。

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6月29日 『ナースときどき女子』に掲載されました
岐阜県関市「モネの池(根道神社の池)」
EOS5D Mark IV + EF24-70mm F2.8L USM

 昨年6月の『岐阜県関市「モネの池(根道神社の池)」』の記事を、看護師さん向け情報ページ『ナースときどき女子』の観光スポット特集で紹介していただいた。

→ 東海地方にお出かけ予定のナースへ!家族旅行や女子旅におすすめの観光スポット特集

 というわけで、上の写真は「モネの池」での未掲載写真。

 で、今回記事を紹介していただいた『ナースときどき女子』なのだが、さすが看護専門職の情報サイトなだけあって、例えば「長時間手術を乗り切るコツとは?」とか、「オペナースにとってガウンは戦闘服!意外と知らないガウンテクニックの4つのポイント」とか、看護師でなければあまり触れる機会のない情報も多数掲載されていて、「おお、看護師というのは頑張っていろんなものと戦っている人々なのだなぁ」と、思わず感心感謝せずにはいられなかったりする。

 看護職でなくても、読み物として大変おもしろいので一読をオススメしたい。

 → ナースときどき女子

 


6月28日 アマガエル
EOS5D Mark II + EF100mm F2.8L Macro IS USM + ソフトン(A)

 昔から、アマガエルだけ特別に好きだ。
 他のカエルはけっこう邪悪な顔をしてるが、アマガエルだけは(撮り方によって)いろんな表情に見えるので楽しい。
 あと、食物連鎖の底辺層にいて多くの生物を支えているんだけれど、己の境遇を憂うこともなく、泰然自若として生きているがまたいい。
 カエルなのに、水辺よりも木の上のほうが好きというのもいい。

 蓮の上にいるアマガエルは特に好き。

 → アマガエルの記事一覧

 


6月27日 昔撮った写真
EOS5D Mark II + EF50mm F1.2L USM

 最近一時休止していた、過去写真の再選定と再現像を再開した。

 写真を見ていると、何年も前のことなのにファインダーの外のことや、撮影前後の出来事、撮影していた時の気持ちまで思い出す。

 私は日記をつけないのだけれど、自分で撮った写真が「自分にしか読めない日記」になっているのだと気づいた。

 数多の写真の中で撮影中のことをあまり思い出せないものに、気に入った写真はなぜか少なかった。

 何らかの相関関係があるのだろう。

 


6月26日 恒例の寝落ち
EOS5D Mark IV + Super Takumar 55mm F1.8

 またもや布団と大の仲良し。驚きの9時間睡眠。

 子供に戻った気分。

 


6月25日 蛍
EOS5D Mark II + EF50mm F1.2L USM + ソフトン(A)

 さっき、川沿いの道で蛍を見た。
 暗闇の中を1匹だけで飛んでいく蛍には、名所で見られるような派手な乱舞にはない風情がある。

 上の写真は以前に北斗七星と蛍を絡めて撮影したもの。
 蛍の風情という点では、私の中のイメージにかなり近い。

 巷に溢れる、多くの光跡が入り乱れる蛍写真は確かに美しい。でも、現実の蛍とはぜんぜん違う。
 いつも、そこにとてつもない違和感を感じてしまう。
 長時間露光や多重露光で、現実にはそれほど多くない蛍をあたかも沢山いるように写すことの意義が、私にはいまいちよくわからない。

 目の前の蛍の美しさに心打たれているのならば、目で見た蛍のありように写真を近づけていくというのが、カメラマンとして真摯な姿勢であると思う。
 しかし、巷の蛍写真にはそういう精神があまり感じられなくて、どちらかというと誰かが撮ったホタルの写真に感化されて、同じような手法で撮影しようとしているだけのように見える。
 カメラマンは目の前の蛍を見ているようでいて、実は誰かの撮った写真を思い出しながら撮っているのかな、とも思う。
 そういう写真には「蛍写真はかくあるべし」という前提が透けて見えて、美しい写真ではあるけれど、蛍を見た時のダイレクトな感動がいまいち伝わってこない。

 これと全く同じなのが花火写真で、ほとんどの人がなんの疑いもなく「花火の写真は長時間露光で撮るべし」と思っている。
 長い光跡を引いた花火の写真は確かに美しいが、それは現実の花火とは別物の「かつて花火だった何か」だ。
 暗い夜空に一瞬で開く光の大輪と、あたりを震わせる轟音のイメージはそこにない。
 実際の花火の色形も、臨場感もないとしたら、カメラマンは一体何を撮ろうとしているのか。

 花火写真については、自分なりの答えを見つけ、私はそれに従って撮っている。
 だが、蛍についてはまだ答えが見つからない。

 はたして、私の蛍観を具現化した写真が撮れる日がいつか来るのだろうか。

 


6月24日 国際的不正アクセス対策
EOS5D Mark IV + EF24mm F1.4L II USM

 このブログへの国別のアクセス状況を見てみると、1位の日本(これは当然)に次いで、中国、シンガポール、香港、となっている。
 とはいえ、中国やシンガポールでこのブログが大人気、というわけではなくて、要はそれらのほとんどが「不正アクセス」なのだ。
 それはこのブログを乗っ取ろうとする企みであったり、不可解な足跡を残すことで商売のサイトへ誘導する「スパム」であったりする。当然、生身の人間によるアクセスではない。
 ブログを見もしないのに、サーバに無用の負荷をかけるアクセスなど害悪でしかない。

 加えて、以前、このブログから中国の画像掲示板に航空機の画像が大量に盗用されたことがあった。
 その際、中国の輩は私の画像に勝手に独自のウォーターマーク(透かし)を入れて、あたかも「これは私達の所有する写真です」みたいにして掲載していて驚いた。
 まさに盗用であって失礼極まりないし、それを容認する中国人のパクリに対する自制心の無さにも閉口せざるを得ない。

 また、ロシアからのアクセスはそのほとんどが、コメント欄への「良いバイアグラありますよ~、買いませんか~(意訳)」というスパムコメントである。
 コメントを承認しないので表示されないけど、結構な数の書き込みがある。
 ロシア人からバイアグラなんか買うわけねーだろ。

 以上のようなことが繰り返され、こちらも相当イライラしてきたので、ついに当該数カ国からのアクセスをまるごとブロックすることにした。
 以降、当該国からこのブログにアクセスすることは原則不可能になる。

 サーバへの負荷も、精神的負荷も、かなり軽減されるはずだ。

 


6月23日 新しい記事をアップしました


→ 大町市「木崎湖」のスイレン2020

 室山池とは対象的な、「陽」の雰囲気を持ったスイレンの名所。
 陽の光を浴びながら透明な水の中に揺れるスイレンも、まさに王道といった感じで美しい。
 以前からこの場所は知っていたが、やっと良いタイミングで撮影できた。
 ちなみに、この1週間後に再訪したのだけれど、全体の状態が悪くなっていたので撮るには撮ったが全ボツ。

 写真の大半が「巡り合わせ」の世界。

 


6月22日 スマホシェーバー
EOS5D Mark IV + Super Takumar 55mm F1.8

 突如として、私はスマホでヒゲを剃ることができるのを思い出した。
 スマホの下部にあるスピーカーの網目部分がちょうど電気シェーバーになっているのは今や常識だ。

 私は早速「髭剃りアプリ」を起動して、スマホを逆さまに持って顎に当てる。
 するとチリチリカリカリと軽快な音を立てて確かに髭が剃れている。

 便利な世の中になったなぁ、と髭を剃りつつふと思う。
「髭剃りの後のシェーバー部分のメンテナンスってどうするんだっけ」
 まさかスマホだから水洗いはダメだよな。

 そう悩んでいるところで目が覚めた。

 長めの睡眠時間で、ちょっと寒かったりするとこういう夢を見ることが多い。

 いつものごとく、夢判断不能のカオスな夢であった。

 


6月21日 部分日食
EOS5D Mark IV + EF70-200mm F2.8L IS II USM + EXTENDER EF2×III + ND400 + ND8 + ND4(トリミング)

 夕方に部分日食が見られるということで期待していたのだが、欠け始めの時が近づくにつれ空はにわかにかき曇って、太陽を見ることができなくなってしまった。
 ただ、ベタ曇りではなく、所々で雲の切れ間から陽が差していたので、九割九分諦めつつも希望を捨てずにいた。

 すると、欠け途中と最大食付近の数分間だけ雲が切れて、欠けた太陽を拝むことができたのだった。
 当地方の天候からすると、ほぼ奇跡に近いと思う。

→ 欠け途中(16時37分)の写真
EOS5D Mark IV + EF70-200mm F2.8L IS II USM + EXTENDER EF2×III + ND400 + ND8 + ND4(トリミング)

→ 最大食付近(17時13分)の写真
EOS5D Mark IV + EF70-200mm F2.8L IS II USM + EXTENDER EF2×III + ND400 + ND8 + ND4(トリミング)

 撮影をしながら、写真というのはつくづく「被写体あってのもの」なのだと実感した。
 絵なら頭の中の理想をいくらでも具現化できるが、写真は目の前に被写体がなければ撮りようがない。
 こんな曇り空の日食など、カメラを握りしめたまま、空を見上げてただ祈ることしかできない。

 カメラマンに、無から有を生成する力はない。
 できることといったら、かすかな「有」をカメラで拾い上げて、いかにも存在感あるもののように「見せる」ことくらいだ。
 被写体がなければ、カメラマンなどことごとく無力に等しいのである。

 まったくもって因果な所業なのだ。

 雲間から欠けた太陽が顔を出すことを祈りながら、そんなことを考えていた。

 


6月20日 新しい記事をアップしました


→ 佐久の苔寺「貞祥寺」緑雨

 長野県にこんな素敵な苔寺があるとは知らず、行ってみてびっくり。
 あまりにも苔が素晴らしかったので、肝心な三重塔を見落とすというヘマをやらかした。
 再訪必至。

 当然のことながら、雨の日か雨上がりがしっとりとしていてオススメ。

 


6月19日 所作
EOS5D Mark IV + EF35mm F1.4L USM

 料理番組などで、料理名人という立ち位置で出演しているタレントがいざ実際に料理する場面になってみると、「包丁を正しく使えない」「フライパンの鍋振りができない」など、その所作のお粗末さで嘘つきが一発でバレてしまったりすることがたまにある。

 知識は付け焼き刃も可能なのだけれど、かたや相応の所作というのは時間をかけて身につけるほかはない。
 それは写真においても言えることだと思う。

 たまに撮影現場で出会う様々なカメラマンの所作を、遠くからちらっと観察することがある。
 写真への本気度や、被写体との向き合い方、撮影機材を使いこなす技量とかが、その所作から如実に透けて見えてくるので面白い。

 私の所作は人からどう見えているのか。
 自信がないので、今日も人のいないところに撮影に行こう。

 


6月18日 新しい記事をアップしました。


→ 安曇野市三郷「室山池」雨の日のスイレン

 昨年はなぜかスイレン熱がすっかり冷めてしまって、一度も撮りに行かなかった。
 今回久しぶりにスイレン撮影に行ったのだけれど、撮っているうちに止まらなくなるのがよく分かった。
 やはりスイレンは魅力ある花。

 雨だろうがなんだろうが、撮影のスイッチさえ入れば無限に撮っていける。
 車と同じで、エンジンが温まるまでが重要。

 


6月17日 寝落ちで補完更新
EOS5D Mark IV + Auto Yashinon-DS 50mm F1.7

 もう言い訳は申し上げますまい。
 布団が友達。

 


6月16日 思考迷路にはまり込む
EOS5D Mark IV + Super Takumar 55mm F1.8

  何かに気づいてハッとして、「これはなんだか鋭いことを考えついたぞ」とテンションが上がって、夢中で考えているうちに、思考の迷路に迷い込んで、あっという間に熱意も萎み、そもそも何を考えていたのかすらよく分からなくなる。

  今日はそんな日。

  寝よう。

 


6月15日 新しい記事をアップしました


→ モノクロで雨のスイレン

 数百枚撮った中で「これはどう考えてもモノクロのほうが良い」と思ったものをモノクロにした。
 スイレンの観念的な部分がカラーよりもよく出せたと思う。

 よく、「モノクロの写真にするなら、最初からモノクロのつもりで撮らなければダメだ」とか言われるけど、それにはかなり懐疑的。
 だって、ファインダーの中はカラーだから。
 カラーで見えているものを、頭の中でリアルタイムにモノクロとして想像できるのかどうか。
 できる人はできるのかな。
 私には無理。

 ライブビューとかEVFでモノクロ表示にしない限りは、モノクロのつもりで撮ることはできないような気がする。

 


6月14日 雨の撮影
EOS5D Mark IV + Super Takumar 55mm F1.8

 週末はずっと雨だった。
 雨の日の撮影は自分は濡れるし機材は濡れるし、憂鬱なことも多いのだけれど、雨でなければどうしても出ない雰囲気や色合いがある。
 雨の日に頑張ってカメラを持って出掛けると、苦労するけど良いこともある。

 土日は雨の撮影に明け暮れた。

 


6月13日 新しい記事をアップしました


→ 山あいのルピナス園

 歳を重ねるごとに、花が愛おしいと思うようになる不思議。
 若い頃は、きっと目に入らなかっただろう。

 


6月12日 雨の朝
EOS5D Mark II + EF70-200mm F2.8L IS II USM

 目覚めたとき、雨音が微かに耳に届いているというのは嫌いじゃない。
 ただ、布団から出るのが億劫になる。

 


6月11日 梅雨入り
EOS5D + EF300mm F4 L IS USM

 雨の季節が始まった。
 というか、「雨の季節が始まった」とアナウンスされた。

 梅雨入りも梅雨明けも、桜の開花も、白鳥の北帰行も、誰かが「今です」と言うから世間はそのタイミングを季節の切り替えポイントと決定するのだけれど、自分の体感とはちょっと違う。

 自分の身体に耳を澄ますと、季節の接続部分を通過したときの微かな揺れを感じることがある。

 そこが本当の季節の変わり目。

 


6月10日 睡魔に勝てぬ
EOS5D Mark IV + Auto Yashinon-DS 50mm F1.7

 夜になると自動的に眠くなる機械になってしまった。
 昨日も撃沈。

 罪滅ぼし的に新しい記事をアップ。

→  マーガレットじゃなくて「フランスギク」

 


6月9日 いつもの如く
EOS5D Mark IV + Super Takumar 55mm F1.8

 定時に更新できなかったということはすなわち・・・
 そうです、寝落ち!

 夕方、ムキになって6キロを全力で歩いたのが原因。

 しかし、毎日あっつい。

 


6月8日 新しい記事をアップしました


→ 松本スナップ、夕方から夜

 全く別件なのですが、「いいね」ボタンを表示するプラグインがなんだか不調なのでやむなく停止しました。
 以降、いいねボタンが表示されなくなりますがご了承ください。

 


6月7日 久々に夜のスナップ
EOS5D Mark IV + Auto Yashinon-DS 50mm F1.7

 昼間はどこか白々しくてあまり撮る気になれない町並みも、夕暮れからは表情が一変して魅力的な光景になる。
 夜の町並みが好きだ。

 久々に、夜の松本市街地を撮り歩いた。

 


6月5日 昨日のちょっとした補足
EOS5D Mark IV + EF135mm F2L USM

 昨日言いたかったことを要約するならば、
「写真の価値を決めるのは自分自身であって、権威ある写真家ではない」
「権威によるお墨付きに頼るのではなく、自分の写真的審美眼を磨くべき」
「アマチュアの上に権威ある写真家を君臨させようとする写真誌はすでに時代遅れであり、滅びて当然」
といったところか。

 つい十数年前までは、我々の目に触れる写真は常に「誰かによって選ばれたもの」だったが、今は撮影者各人が独自に発表の場を持ち、他者のバイアスに影響されることのない写真が直接鑑賞者へと届けられる。
 そういう写真を数多く見ることによって、それぞれが独自の写真的審美眼を磨いていくことができる時代になった。

 「誰かが良いと言っていたので良い」ではなく「私が良いと思う」でいい。

 目の前に現れた先進的な考えや物事に見向きもしないくせに、いざそれが海外で評価されたりすると慌てて逆輸入してありがたがるような、古い日本人的価値観からそろそろ脱却すべき時だとも思う。 
 

 


6月4日 アサヒカメラ休刊
EOS5D Mark IV + EF24mm F1.4L II USM

 94年間続いたアサヒカメラの休刊が発表されたので、感じたことを書こうと思う。

 アサヒカメラといえば、読者応募による月例コンテストが思い浮かぶ。
 月例コンテストはプロ写真家の権威のもと多くのアマチュアが写真の腕を競い合う場であり、アサヒカメラの発行部数に関しても、月例コンテストがその大きな牽引役を長らく果たしてきたことは間違いない。

 私はこの月例コンテストやアサヒカメラを含む写真誌の編集姿勢について、以前からかなりの疑問を持っていた。

 今、ITの発達で、かなりの人達が「凄いプロカメラマンに混じったさほどでもないプロ」や「さほどでもないアマチュアカメラマンの中に隠れた凄いアマチュア」の存在に気づいてしまっている。
 もはや、プロという肩書にカメラマンの能力やカリスマ性を担保する力はないし、そのカメラマンがプロという肩書をもって写真の優劣を判じることにもまた説得力はない。
 月例コンテストへの入賞も、かつてのような「神々によるお墨付き感」はないし、むしろ、ピントのずれた選評が添えてあったりして興ざめすることのほうが増えた。
 皆、薄々気づいているのだ。特に若い世代は。

 時代は変わっている。

 これからは高名な写真家のくれるお墨付きではなく、誰もが自分自身の感覚で写真を論ずることのできる時代だし、また積極的にそうしていく必要があろうと思う。
 すでにそのことに気づいている人もいるし、いまだに誰かのお墨付きに頼ろうとする人もいる。
 どう立ち回るのかはそれぞれの自由なのだけれど、以前のような、権威あるプロカメラマンを頂点に据えた古き良き写真業界のヒエラルキーはおそらく戻ってこない。

 そういう現状に抗って、写真誌がこれからもアマチュアカメラマンの上に権威(または権威を権威たらしめるための聖域)として君臨し続けようとするならば、遅かれ早かれアサヒカメラと同じ運命を辿ることになるだろう。

 コロナ禍による広告費の大幅減による休刊だとアナウンスしているものの、長年に渡り読者離れが進み販売部数が伸び悩んだところに、コロナがトドメを刺したと見るのが妥当だろう。

 アサヒカメラの休刊は、ある意味必然だったのかもしれない。
 そう思っている。

 


6月3日 思想と衝動のバランス
EOS5D Mark IV + EF24mm F1.4L II USM

 キレイとか、眩しいとか、薄暗いとか、表面的で視覚的な刺激のみを頼りにして撮るよりも、被写体と自分の関係性とか写真的な哲学とかに思いを致して撮影したほうが、写真に厚みが生まれると思っている。

 ただ、そういう思考ばかりが先行して「頭でっかち」になってしまうと、写真はもっと薄っぺらくなる気がする。

 いくら哲学的に、論理的に語ってみたところで、写真はやはり視覚的刺激に対する反射と不可分だから、そういう身体的衝動を否定しようとすると、かえって不自然な結果を招く。 

 難しい。

 要はバランスなのかもしれない。

 写真に対して深く考察しているブログがあって以前から愛読しているのだが、最近、どんどん論理が先走って実際の撮影と乖離してきているのでちょっと残念に思っている。

 


6月2日 新しい記事をアップしました


→ メシを撮ること2020年5月

 本来なら先月末にアップしたいところだったが、突発的激務でブログ更新どころではなかった。
 今月はけっこう撮れ高が上がった気がする。
 コロナで満足に外出もできなかったので、貴重な被写体だった。

 


6月1日 大激務
EOS5D Mark IV + Super Takumar 55mm F1.8

 月初めだと言うのに、朝の4時起きで、そのまま夕方まで肉体労働をするという久々の激務だった。
 ヘロヘロになって帰宅して、夕飯がてらちょっと飲んだらあっという間に前後不覚に陥って、そのままダウンした。
 寝入りばなに朦朧としながら「なんかシメ食べよう。何食べる?俺作るから」と言い残して事切れたそうだ。
 当然、記憶にない。

 当然ながら、ブログも更新できなかったので、2日に補填的更新している。

 


 

「ハミダシ写真と文」バックナンバー

“ハミダシ写真と文 2020年6月” への2件の返信

  1. 師匠、こんばんは。すごい雨ですね。
    あちこちの雑誌に掲載され、さすがです。特にハスの写真の美しくも息をのむような、緊張感は(これはカメラマンだからこその感覚かもしれませんが)まさに息をのむようです。
    私は人生で一度だけ応募してみたフォトコンテスト(高ボッチ高原草競馬)でグランプリもらったのと、若一皇子の子供流鏑馬のパンフに採用してもらったことがあるだけで、全国規模で公開される媒体には載ったことはないです。
    そしてこれからは益々そういうものとは縁遠くなります(笑)。
    ささやかでも賞をもらった時は嬉しかったですね。努力の甲斐みたいなものがあった気がして。
    そういう「甲斐」をさえありがたく嬉しく感じなくなったのはいつからだったのかな?
    カメラマンの多くには、きっとそんなことは無いのでしょうけど、私の性質上、甲斐のために犠牲にしてきたものが多すぎたです。とんでもなく「したり顔のアホ」でした。
    小さなSDカードに画像を封じ込めるために血眼になっているうちに、センサーの、レンズの外側にある輝きや空気を見失っていました。
    いつか、そういうもののバランスを保てるようになる日が来ますかねぇ。その時がくるとしたら、それが私のカメラマンとしての本当の第一歩なんでしょうね。

  2. tetukobayashiapril先輩

    こんばんは。ご無沙汰しております。
    私は思うところあって、コンテストとか、自ら写真を売り込んだりとかはしない主義なので、こうやって私が好きだと思う写真をほかの何かに役立ててもらえるというのはとてもありがたいことです。
    >甲斐
    人それぞれですね。
    昔は、「いいね」の数とかコメントの件数とか、人からの評価に対して一喜一憂した時期もありましたが、いまはもうきれいさっぱり解放されました。
    「いいね」をもらうことよりも、お褒めの言葉をもらうよりも、コンテスト(出さないけど)で受賞するよりも、「自分の写真が誰かに見てもらえる」ことが一番の幸せです。
    「いいね!」などあってもなくてもいいです。それよりも、「見てもらえる」こと自体が最高のリアクションです。
    この広いネットの海から誰かが私のブログを見つけて写真を見てくれること、それこそが私にとっての「甲斐」かもしれません。
    さらに、その写真が誰かの役に立つのならば、もはや言うことはありません。

    私の写真を見た人は「いいね!」と思ってくれる人もいれば、「このへたくそ!」と思う人も(多数)いると思います。人の美的センスなど十人十色千人千色(プロアマ問わず)なので賛否両論は当然です。
    ですから、私はその都度、ベストな写真を頑張って撮るだけであって、人が自分の写真をどう評価しようが、私のやるべきことに変わりはありません。
    むしろ、「いいね」の数とかコンテストでの成否とか、他者の感覚に判断を委ね、リアクション欲しさに自分の感覚が鈍っていくことの方が怖いです。

    難しい問題ですが、最近、そういう悟りの境地にいます。
    合っているか、間違っているかはまだわかりません。
    独善的なのかもしれませんが、それでも私は、自分の思った道を行きます。

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