ハミダシ写真と文 2020年9月

9月30日 今月の「メシ撮り」はお休み
EOS5D Mark IV + EF100mm F2.8L Macro IS USM + ストロボ

 ここ数ヶ月ずっと、月末にはその月の「メシ撮り」総集編をアップしてきたのだが、思うところあって今月はやらないことにした。

 最大の理由は、「新しい撮り方に挑戦したい」ということ。
 ストロボとソフトボックスを使った現在の撮影スタイルではかなりの枚数を撮ったので、そろそろ違うタッチのメシ撮り写真を会得したいと思っている。

 そのために必要な機材とセッティングもだいたい分かっているのだが、だからといって、市販の専用機材を買ってさあ撮ろう、というのではなんの工夫もない。
 今回は自分が撮りたい写真をどうしたら撮れるのかをよく考えながら、最適な機材を自作してみようと思っている。それも、なるべく安価で汎用性が高いものを目指したい。
 だから、研究成果が形になるまで、今までのメシ撮りは一旦封印することにした。

 同じものを撮り続けることは好きだし、意義のあることだ。
 だが、同じ被写体を撮り続ける以上、撮影者自身は変わっていく必要がある。
 それは、自らの技術を向上させることであり、思想的に成長することでもある。 
 趣味でやっているからといって自分に厳しいものを課さないのでは、いくら撮ったところで何も変わらない。

 


9月29日 文字に書き出すこと
EOS5D Mark IV + EF100mm F2.8L Macro IS USM + ストロボ

 いつか文章に起こそうと思って頭の中でずっと考えていたことがようやくまとまったので、キーボードをパチパチやり始めたのだけれど、いざ文字にしてみると「あれ、こんな内容だったっけ?」となる。そこでもう一度書き直すのだけれど、やはり文章としてまとまらない。

 この原因について考えてみたのだが、要するに私は「考えがまとまった」と思い込んでいただけで、実際には頭の中が整理されない状態のまま文字に起こそうとしていただけ、というお粗末な理由なのだった。

 ふと思いついたことをそのまま喋ったりするのは比較的容易でも、それをいざ筋の通った文章にしようとした時、思考の焦点がぼやけたままだとすぐにボロが出てしまう。
 言語というのは、最大密度かつ最大の効率で思考を伝達する手段である反面、その最大性能を引き出すためには、伝えるべき思考がしっかりと整えられている必要あるのだと改めて思った。

 


9月28日 新しい記事をアップしました


→ 彼岸花を撮る(雨と水滴・ストロボ撮影ほか)

 


9月27日 選定終わらず
EOS5D Mark IV + EF100mm F2.8L Macro IS USM +ND4 + ストロボ

 彼岸花の写真をアップしようとしていたのだが、調整と現像は終わらせるも、選定がどうしても間に合わなかったので明日以降へ持ち越し。
 その原因の半分は、半沢直樹にある。

 今年もストロボを駆使して、「闇の花」らしさを全面に押し出すことに余念はない。

 


9月26日 彼岸花の季節
EOS5D Mark IV + EF70-200mm F2.8L IS II USM

 今年も彼岸花が咲き始めた。
 本当にお彼岸が近くなると、なにもない地面からにょきにょき花茎が伸び始めて花が咲く。
 暗い地中で一体どうやって季節を感じ取っているのか。
 その闇をはらんだ花容と相まって、謎は深まるばかり。

 最近は群生地に咲く彼岸花を撮りたいというより、彼岸花自体を克明に撮りたいという欲求が高まりつつある。

 


9月25日 気合を入れて撮影
EOS5D Mark IV + EF70-200mm F2.8L IS II USM

 久しぶりに一日ずっと本降りの雨だった。
 時節柄、どうしても今日しか撮れない写真があったので、気合を入れて雨の中に繰り出し、ずぶ濡れになりつつシャッターを切った。

 雨の日に頑張って撮ると、ご褒美がもらえる。
 写真には、雨の日特典がある。

 


9月24日 今日は写真のみ
EOS5D Mark IV + EF35mm F1.4L USM

 書くことがないわけではないのだけれど、忙しいので写真のみの更新。

 


9月23日 弱り目
EOS5D Mark IV + EF70-200mm F2.8L IS II USM

 これをバイオリズムと言うのかもしれないが、たまに写真に対する己の内圧がさしたる原因もなく下がってしまうことがある。

 普段、適当な内圧を保っているときは、自分の写真についてかなり楽観的に捉えているし、上手い人の写真をみても「自分も頑張らなければ」と思いこそすれ、後ろ向きになったりはまずしない。
 だが、この突発的な内圧低下に見舞われると、とにかくどんな写真を見ても上手に見えて、「ああダメだ、もう自分の写真なんてダメだ」と悲観してしまうのだ。

 今日はまさにそういう日だった。
 たまたま時間があって、ちょっと本屋に寄っていろんな雑誌を見たのだけれど、本に載っているどんな写真を見ても、それらが決して到達できないような高みに思えてしまって、心が折れそうになる。
 人の写真に無駄に圧倒されてしまうというか、風の強い日にわざわざ傘を広げるような感じで人の写真を見てしまうので、人の写真を見れば見るほどダメージを受けてしまうのだ。

 こういう日は仕方ないので、他の人の写真を見るのを諦める。
 自分の写真を見返したりもしない。
 風邪みたいなもので、特効薬もない代わりに重症化もしない。ちょっと写真を休めば、また元どおり回復する。それはこれまでの経験則で分かっている。

 だが、一過性のものとはいえ、自分の写真の屋台骨が揺らぐような思いは、なるべく避けて通りたいというのが正直なところだ。

 そんな憂鬱な午前中だったが、昼飯を食べていろいろ撮影していたら、またたく間に内圧が復活したので結果オーライということになった。 

 


9月22日 過去の写真を再編集してアップしました


→ 番所大滝

 最近は滅多に撮らなくなってしまった滝の写真。

 この「滝」という被写体も花火と同じく、私の中で長時間露光をしたくないものの一つ。
 長時間露光で撮影すると、水の流れが絹のようになって美しいが、肝心の音が消えてしまう。
 とくにこの番所大滝のような、激しい水流を持った滝は尚更。
 
 岩に叩きつける水の激しさを写真に残したいと思った。

 


9月21日 過去の写真を扱っている時の感覚
EOS5D Mark II + EF100mm F2.8L Macro IS USM

 過去に撮った写真を再選定して、調整と現像をしている時に感じる特有の感覚がある。
 それは例えば、部屋の片付け中に古いアルバムを発見して、しばらく手を止めて見入ってしまうようなノスタルジーとは違う。
 もっと心の底がざわめくような、苛立ちに少し近いような感覚で、長いこと浸っていたくなるようなものではない。
 だから過去写真を多量に扱うと、なぜかぐったり疲れてしまう。
 
 自分が感じていることなのに、それが何なのかよくわからない。
 外の世界だけではなく、自分の中にもまだまだ謎は残っている。 

 


9月20日 パソコン不調
EOS5D Mark II + EF16-35mm F2.8L II USM

 パソコンというのは1回目の起動から壊れて動かなくなるまで、トラブルという言葉から解放されることは決してない悪魔の箱なのであるが、最近、また面倒くさいトラブルが発生するようになった。

 それは、パソコン本体に付いている電源ボタンの反応の悪化である。

 普通であれば、本体の上面についている丸いボタンを軽く押すだけで簡単にパソコンが起動する。今まではそうだった。
 しかし最近、そのボタンを押してもなかなか電源が入らない。
 反応しないボタンを指圧のようにして、力の方向と力の入れ具合を探りながら指先でグリグリやっていると、パソコンが「お、そこそこ、ツボツボ!」みたいな感じに反応して、ようやく起動に至る。

 ハイテクの塊であるところのパソコンが、電源ボタンの接触不良という最もローテクな分野に起因して動かなくなるというのは屈辱に近い。

 近日中に、ハンダごてを引っ張り出す羽目になるかもしれない。 

 


9月19日 新しい記事をアップしました


→ 長月2020 ― 善光寺参道

 9月恒例のイベントが今年は一切ないので、自分で機会を作らなければ撮ることができない。
 撮らないとリズムと勘が確実に鈍る。

 とにかく、撮るほかない。
 撮り飽きたような場所を、繰り返し繰り返し撮る。
 走り飽きたサーキットを、延々と周回するように。

 


9月18日 知識の無さに泣く
EOS5D Mark IV + Carl Zeiss Makro Planar T* 2/50 ZE

 いま必要があって、ソンタグの『写真論』を丁寧に読み返しているのだが、序章のタイトルが『プラトンの洞窟で』なのだ。

 この「プラトンの洞窟」というのは「なんとなくクリスタル」的な感覚的造語ではなくて、要約すると「人間は洞窟の中に閉じ込められたも同然であり、そこでイデア(≒真理)の影を見ているに過ぎない」というような意味なのだが、だいたいそんなこと知らねーよ。

 そういう「知らねば前に進めない単語」が頻出するので、その度に辞書で調べつつ読まねばならず、己の知識の無さに泣かされている。

 斜め読みで前に進めなくもないが、やっぱりそれだと何回読んだところで、完全に読んだことにはならないよな、と自分に言い聞かせている。

 


9月17日 ポセイドンが持ってるやつ
EOS5D Mark IV + Carl Zeiss Makro Planar T* 2/50 ZE

 道に、海神ポセイドンの持ってるやつみたいな枝が落ちていたのだが、そのポセイドンの持っているやつの名称が思い出せずに困った。

 調べたら、「トライデント(三叉槍)」だった。
 すっきり。

 


9月16日 新しい記事をアップしました


→ 光の道、日没

 終盤、太陽が雲の中に入ってしまって「今日はもうだめだ」とあきらめムードが漂うなか粘っていたら、まさかの太陽再登場で、一気にテンションアップ。
 海辺で育っていないので、日没間際の太陽が気まぐれに振る舞うことに慣れてない。
 水平線際が曇ってるからダメだということはないのだな、と再確認。

 


9月15日 寝落ち
EOS5D Mark II + EF180mm F3.5L Macro USM

 やっぱり日本酒は効く。

 


9月14日 新しい記事をアップしました


→ 陰影 ー 旧制松本高等学校(現・あがたの森文化会館)

 やはりこういうハイコントラストなシーンでは、マクロプラナーがキレキレでいい仕事をしてくれると思った。

 


9月13日 ザ・木の実
EOS5D Mark IV + Carl Zeiss Makro Planar T* 2/50 ZE

 カメラ片手に散歩していたら、いきなり歩道脇の草むらから「ドサッ」という音がした。
 驚いてそのあたりを見たが、何から発せられた音なのかわからなかった。
 立ち止まって音のした方向をしばらく眺めていたら、ちょうど風が吹いたタイミングで、頭の上の方から拳大の丸い物体が落ちてきた。
 それは路面に当たると、くす玉のようにパカーンと小気味よく真っ二つに割れ、中から一回り小さい黒い玉がコロコロと転がり出た。
 見るとそれは、栃の実だった。

 その黒いツヤツヤがあまりにも魅惑的だったので、思わず手に取ると、これがなんとも素晴らしい「木の実感」なのだ。
 栗の実よりもずしりとした重量感があり、表皮はカチカチのピカピカ、下半球はつや消しなうえに、上半球との境界線は一直線ではなく、まるで「うなじ」のような切れ込みがあったりする。
 それはお手本のような見た目と触感で、これこそ「ザ・木の実」だと思った。
 たまらず、それから4つも拾ってしまった。

 栃の実は食用になる。
 だが、サポニンなどの毒素を含むため、水に晒したり灰汁に晒したり、熟練者による複雑な手順を踏まなければ食べることはできない。
 だから、私のような素人が拾ったところでなんの役にも立たないのが栃の実なのだ。
 でもいいのだ。
 ザ・木の実を手のひらで転がしているだけで、私はご機嫌になれる。
 拾ってきた栃の実は、今もキーボードの横でツヤツヤ光っている。 
 

 


9月12日 更新負債解消
EOS5D Mark II + EF70-200mm F2.8L IS II USM

 一日遅れの更新を常態化させると、いずれ歯抜け更新になり最終的に更新停止になることが目に見えている。
 私の性格上、そのことは小学校時代の夏休み宿題不良債権化で何度も実証されているので、ここは形だけでも更新して明日へと繋ぎ、健全なブログ運営というものを目指していきたいのである。 

 


9月11日 爆睡
EOS5D Mark II + EF180mm F3.5L Macro USM

 久々に宵の口から朝まで爆睡。

 不可解な夢を沢山見た。

 それなのに内容を何一つ覚えていないのがまた不可解。

 


9月10日 さて・・・
EOS5D Mark IV + EF24-70mm F2.8L USM

 さて、重い腰を上げて放っておいた案件に手を付けるか・・・。

 いつだって、立ち上がるまでがいちばんの重労働なのだ。

 


9月9日 「秘伝」がなくなる時代
EOS5D Mark II + EF300mm F4 L IS USM

 その道のプロフェッショナル(写真に限らず)が、個人的にSNSやYoutubeなどの情報発信ツールを使うようになった。
 その情報発信において他に抜きん出るために何が行われているかというと、それまでプロフェッショナルの中だけで共有されてきた専門的な知識と技能の開示、いわゆる「業界の秘伝」の切り売りだ。
 我々素人からすると、従来であればその道に入門しなければ会得することが難しかったことを今や容易に入手できるので有り難い話だが、そういう「秘伝」を囲い込むことでなんとか禄を食んできたレベルのプロにとっては至極大変な話だろう。

 「秘伝」が消滅し、アマチュアとプロの境界線が曖昧になった世界では、より「センスと覚悟」の有無が問われることになる。

 プロだから上手、アマチュアだからまあそこそこ、という立場に根ざした技量判断はもはや意味をなさない。
 そういう言い訳も通用しない。

 いい時代になったのか、それとも戦乱の世となったのか。

 


9月8日 新しい記事をアップしました


→ 奈良井宿葉月2020

 私の「リハビリ&チューニング撮影センター中南信支部」こと奈良井宿。(東北信支部は善光寺参道)
 定期的に通って撮影することで、なんとなく撮影の調子が戻る気がするので、また行ってきた。
 頭を空っぽにしてただスナップするのがとても良い。
 負荷をかけずに、いい感じに撮影エンジンが温まる。
 


9月7日 流行りのレタッチ写真
EOS5D Mark IV + Auto Yashinon-DS 50mm F1.7

 いまインスタなどのSNSを席巻している写真に共通する、細部まで丹念にレタッチして色調やトーンを持ち上げ、場合によっては合成も厭わないという手法。
 いま最もウケのいい写真様式なので、多くの「いいね」を貰うには必須のテクニックなのかもしれない。

 そのレタッチ手法を私もやるかと問われれば、私はやらない。

 その最大の理由は、生理的に好きではないから。
 ぱっと見インパクトが強くてハッとするが、長時間見ているとそのインパクトが逆に違和感となって押し寄せて、その写真に浸れなくなる。

 そもそも、写真を肉眼での見え方から大きく乖離したトーンや色調へとレタッチしたり、その場に存在しないものを合成したりすることは、被写体に対する批判をしているのと変わらないことだと私は思う。
 それは自分の眼で見て心動かされた光景を写真上に再現しようという試みではなく、被写体を下書きにして自分の好みの絵を描いているに過ぎない。
 その好みというのも独自に培われたものではなく、その多くがインスタ映えのような、最近の流行りへの迎合だ。「こういう写真、みんな好きでしょ?」と写真が語りかけてくる。
 そういう暗黙のメッセージ性とも相まって、私は流行りのレタッチ写真が好きではない。

 とはいえこれは私の好みの問題である。やりたい人は自由にやればいい。
 ただ私「は」やらない、というだけの話だ。

 と結論づけたいところなのだが、この流行りのレタッチ写真と写真が本来持っている価値に関して非常に危惧することがあり、今そのことについて思索を巡らせている。

 それは、いつか考えがまとまったら書きたいと思う。

 


9月6日 夏よさらば
EOS5D Mark IV + EF70-200mm F2.8L IS II USM

 今日の午後、また「かすかな季節の継ぎ目」を身体が通過する感覚があって、しばらく心がざわめいていた。
 おそらく、厳しかった夏が、いよいよ帰り支度を始めている。

 


9月5日 新しい記事をアップしました


→ 落日

 海に落ちる太陽は、やはり特別。

 


9月4日 新しい記事をアップしました


→ 筑北村、修那羅山「安宮神社」の石神仏群

 近所にこんなカオスな信仰世界があったとは。
 普通の石仏と思ったら大違い。

 


9月3日 何者かになること
EOS5D Mark IV + Auto Yashinon-DS 50mm F1.7

 いま思い返してみると、中高生のころ以来「何者かになりたい」と真剣に思ったことがなかったかもしれない。
 私の中にあったのは、こんな仕事ができたらいいな、くらいのぼんやりとしたテンションで、そこに切実といえるような思いはなかった。
 友人知人たちが鮮やかなビジョンを掲げて将来を志向していく中で、ただひとり私はどうしたらいいのか、途方に暮れていた記憶がある。
 そのまま時は流れ、結局私は何者にもならなかった。 

 でもそのおかげで今、自分の中に写真がある。

 人は何者かにならなくとも、何かを追い求めることはできる。
 

 


9月2日 新しい記事をアップしました


→ メシを撮ること2020年8月

 メシ撮りをアップしてようやく月締め完了といったところ。

 1灯のシンプルなライティングは相当数撮ったので、そろそろ「dancyu」のような、「硬調ややアンダー」のメシ撮りライティングを習得しようかなと画策している。

 


9月1日 9月始まる
EOS5D Mark IV + Super Takumar 55mm F1.8

 普段であれば、9月というのは「小松基地航空祭」があったり、恒例の温泉旅行があったりして心躍る月なのだが、今年は両方とも中止になる流れなので悲しい。

 とはいえ、空いた時間をただ無為に過ごすのは新コロに負けた気が半端ないので、なんとか有意義な時を過ごして精神的優位性だけは確保しておきたい。

 月末月始のバタバタはまだちょっと継続中で、月末の定例メシ撮りのアップは明日になりそう。

 


 

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