平田浩一 近藤卓 氷彫刻 『ペガサスの親子』【10】

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色付き照明によるライトアップが始まる。

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この時を待ちわびていたかのように
会場は大勢のカメラマンで溢れかえる。

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色とりどりの照明を当てられて輝く氷彫刻は、
先程までの激闘の気配はすでになく、
静かで幻想的ですらある。

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撤収作業を終えた二人。

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自らの魂を打ち込んで作った氷彫刻が
スポットライトを浴びて輝く頃、
制作者たちは主役の座を作品に譲るかのように
観衆の前からそっと身を引く。

いつも見ていて
少し複雑な気持ちになる。

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『ペガサスの親子』は
黄色の光に照らされる。

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6時。

薄明。

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予想どおり、
いまだかつてない冷え込みとなった。

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カメラバッグも凍りつく。

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日の出が近づくにつれ
カラー照明の色味が失われ、
かわりに
明け方の青い光が満たされていく。

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茜さす空。

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常念岳がモルゲンロートに。

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お堀の水も、一夜のうちに
薄氷に覆われた。

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朝の光の中で
透明なペガサスが羽ばたいている。

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松本城に
陽光が届き始める。

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松本市立博物館の屋根越しに
朝日が一直線に差し込む。

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ペガサスが
輝き始める。

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太陽光にさらされた氷は
結晶構造が変化して
白化、いわゆる透明感が徐々に失われていく。

氷彫刻にとって太陽光は
あまりありがたい存在とは言えないのだが、
それでも、太陽に照らされた氷彫刻は
これほどまでに美しい。

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親子のペガサスは
朝の光の中を舞っている。

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チャンピオンシップの競技結果は
例年、お昼近くになってから発表されていた。

その頃には、制作を終えた選手たちが会場を後にしてしまうことも多かったし、
表彰式も行われなかったので、会場に残っているメリットがあまりなかった。
私も毎年、帰宅してからネットを通じて結果を知るのが精一杯だった。


しかし今年の大会は違う。
競技終了後間もなく、結果発表と表彰式を行うのだという。



7時40分。
松本城公園
特設ステージ。

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結果発表が始まる。

銅賞は『おなかいっぱい』を制作した、長野氷彫クラブ。

銀賞は『ライジン』を制作した、城戸・中野チーム。

まだ、平田さんたちの名前は呼ばれていない。





そして、金賞は・・・

「『ペガサスの親子』を制作した、平田・近藤チーム!」

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見事、金賞(最優秀)を勝ち取った。

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表彰式後、
平田さん達には沢山の人から声がかかる。
笑顔で応える二人。

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テレビ局の取材も。

テレ朝系列の朝番組への生出演、
いわゆる
ヒーローインタビューなのである。

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この氷彫刻と二人の勇姿が今、
日本中のテレビに映っていると思うと
なんとも誇らしいではないか。

氷彫刻の素晴らしさは
もっともっと
皆に知られるべきだと思う。

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生放送が無事終了。
二人もようやくホッとした表情に。

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本当にお疲れさまです。





2019年
国宝松本城氷彫フェスティバル
氷彫コンクール・チャンピオンシップにおいて、
平田浩一・近藤卓
『ペガサスの親子』は見事、金賞を獲得。

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氷彫フェスティバルの歴史にまた
その名を刻みつけた。


― 完 ―



撮影機材

  • Canon EOS5D Mark IV
  • EF70-200mm F2.8L IS II USM
  • EF24-70mm F2.8L USM
  • EF16-35mm F2.8L II USM
  • EF300mm F2.8 L IS USM
  • SIGMA 15mm F2.8 EX DG DIAGONAL FISHEYE
  • R-クロスフィルター

 

撮影後記

「あと2時間あれば・・・」
 制作終了直後、平田さんの口をついて出たのは、そんな意外な言葉だった。
 あと2時間あったらもっと理想形に近づけた、という。
 私の素人目からみれば、十分に繊細さと迫力を兼ね備えた金賞にふさわしい作品なのだが、平田さんの中ではなお、さまざまな反省点があるらしい。
 親ペガサスの右前脚をあと2センチ長くすればよかった、顔の大きさをもう少し・・・そんな話が次々と出てくる。
 平田さんにとっては、氷彫刻の「見る人にとってどう見えるか」という要素と並んで、「どれだけ自分の中の理想形に近づけたか」という要素もまた重要なのである。
「手数が多いんですよ。でも、どうしてもやりたくなっちゃう。性分ですね」
 手数を抑え時間的余裕を残して完璧な仕上げを目指すのか、それとも、未完成となるリスクを負いながら、時間の限界まで作り込むのか。
 自分の場合は間違いなく後者だ、と平田さんは断言する。
 今回の大会はまさに、そんなやり方で作業が進められた。

 実は、まだ制作ブースの中に大きな原氷がゴロゴロしている頃、私は望遠レンズ越しに平田さんの手にしている設計図を覗き見てしまったのだ。
 一目見て「ああ、これはやばいな」と思った。
 クリアファイルに挟まれた設計図に、翼を生やした馬「ペガサス」が大小2頭、空に向かって羽ばたく。平田さん特有の精密な鉛筆画が、A4版の紙の上でうねっていた。
 遠くから見ても凄まじく混み入ったデザインで、手数が多くなるのは明らかだった。
 決して安全牌を切ることなく、「もしかすると無理かもしれない」という要素をテーマに盛り込むのが平田さんの常なのだが、今回もまたとんでもないモチーフを引っさげてこの大会に挑んだのである。
 ひと波乱もふた波乱も起きそうな予感とともに、制作は開始された。

 時間は勝手に伸び縮みする。
 氷彫刻制作の12時間は、休日にぼんやり過ごす12時間とは全く違う尺度を持って進んでいく。
 撮影するだけの私でさえ、あっという間に時間が過ぎていくように感じるのだから、一心不乱に氷を彫っている平田さんたちにとってはなおさらだろう。
 いままで平田さんが氷を彫る現場を幾度となく目にしてきたが、今回の平田さんはいつにもまして作業に没頭しているように見えた。
 不眠不休であることに加えて、制作ブースの外に出ることもほぼない。
 時折口にするペットボトルの水分のほかは、何かを口に運ぶということもない。
 作業の手を止めて、誰かと言葉を交わすこともない。
 眼の前にある氷を削りながら、頭の中では次の段取りを考えている。
 やはり、それほどまでに限界ギリギリの作業だったのだろう。
 気力と体力と、短かすぎる制作時間をじりじりと切り崩しながら、今回の『ペガサスの親子』は出来あがったのだ。

 彫り上げられた2頭のペガサス。その生々しい造形に圧倒される。
 制作中、特に驚かされたのは脚部の彫刻だった。
 角ばった氷の柱の上をドリルが数回行き来するうちに、氷はみるみる馬の脚へと変化していく。それも、今にも動き出しそうな馬の脚に。
 設計図は平面図だし、下地となる氷には筋彫りもされていない。
 ここから自動切削マシンのように、ノンストップで馬の脚を削り出せるのは一体どういうカラクリなのかと、首を傾げずにはいられなかった。

 想像上の生きものにもかかわらず、平田さんの彫ったものには「こういう生物がこの世のどこかにいるかもしれない」と思わせる不思議な説得力に満ちている。
 その説得力の根源は何か。
 おそらくそれは「リアリティ」である。
 ペガサスを例に取れば、それを構成する「馬」や「鳥の翼」が、生物的なリアリティを有している、つまり、体各部の比率や骨格、肉付き、関節の正しい角度などが実物のそれに忠実であるということだ。
 だからこそ、それを仮想的に組み合わせたペガサスも、結果的に生物としての説得力を持ち得るのだ。
 昨年、日本代表チームの一員として出場した「ジェラートワールドカップ」で、平田さんは羽ばたくタンチョウヅル(※画像)を制作しイタリアに集結した各国の選手たちを驚嘆させた。
 その完成度は、他国チームの追随を全く許さないものだった。
 やはりその丹頂鶴も、生々しいほどのリアリティに満ち溢れていたのは言うまでもない。
 そういう、説得力のある氷彫刻を作ろうとする時、重要なことは何だろうか。
 とにかく、よく見ることが大切だ、と平田さんは言う。
 生きものを彫るのであれば、実物しっかりと観察して、体の作りや動きを理解する。実物が見られなければ、写真や書籍の図表で研究する。
 彫刻する以前に、モチーフとなる対象をつぶさに観察し理解することによって初めて、満足に彫刻できるようになる、という。
「でも昔は大変でしたよ」と平田さん。
 彫刻の参考となり得るような、詳細な図表が載った本はそうざらにはない。
 平田さん曰く「でかい書店の5階とか6階」、いわゆる書店の中でもより専門的でマニアックな、洋書や写真集などを扱う売場に足を向けねば、お目当ての本は見つからない。
 あまつさえ、そういう類いの本は単価が高い。
 自らが追い求める氷彫刻のためとはいえ、泣く泣く身銭を切らねばならない時も多々あった。
 最近はインターネットで有益な資料が集まるのでずいぶんと助かっている、という平田さんだが、情報源は変わっても今なおそういう「彫刻以前の努力」を欠かすことはないのだそうだ。

 平田さんが氷彫刻師の道を歩み出してから30年。
 そもそも、平田さんを氷彫刻の道に誘ったのは、今は亡き父・謙三さんだ。
 その時すでに謙三さんは帝国ホテル専属の氷彫刻師として、日本の氷彫刻界を代表する一人となっていた。
 どうして謙三さんは、平田さんを氷彫刻の道に誘ったのだろうか。
 おそらくそれは、謙三さんが平田さんの中に氷彫刻師としてキラリと光る才能を見出したからに違いない。
「いや、予備校にも行かずにプラプラしてたせいですよきっと」 と平田さんはそれを笑って否定する。
 自分がここまで来られたのは、才能なのではなく、とにかく沢山氷を彫ったから。
 もともと不器用だったけれど、沢山彫ることによって様々なことを吸収できたから。
 平田さんはそこを何度も強調する。
 才能のある人はかえって不利かもしれない、とも言う。
 才能がある人は、自分のスタイルに縛られやすい。だから、他から吸収するのが難しくなる。
 でも、自分は不器用で何もできなかった。だから、できないことを何でも人から吸収した。
 不器用だったからこそ今の自分がいるのだ、と。

 今や氷彫刻界の風雲児たる平田さんだが、最初からこの道の達人だったわけではない。
 現在の平田さんを形作っているのは、さまざまな経験の蓄積の数々だ。
 平田さんはそんな駆け出し時代を振り返る。
 謙三さんに弟子入りして働き始めた帝国ホテルは、室温で氷を彫る環境にあった。
 室温下の氷は、どんどん解ける。だから、とにかく手早く彫刻せねばならない。
 彫刻の「速さ」を追求し始めたのは間違いなくこの頃だ、という。
 その後、平田さんは謙三さんのもとを離れて武者修行に出る。
 次に平田さんが働くことになったのは、氷彫刻の専門会社。
 室温で彫っていた帝国ホテルとは違い、そこは仕事場全体が冷凍庫の中にあるような環境だった。
 常に気温は氷点下で氷が解ける心配はない。
「夕方になって彫るのを止めて、家に帰って翌朝出てきても、昨日の続きで氷を彫れるんです」
 そんな環境だから、平田さんは一つの氷に気が済むまで、時には徹夜で手を入れた。
 気に入らない箇所を徹底的に修正する、彫っては直し、彫っては直しという作業を繰り返すうちに身についたのが「細部にこだわる造形力」だった。
 そして平田さんは2003年、現在の職場であるホテルニューオータニに入社。「氷彫刻室長」としてホテルの宴会や食事に使われる氷彫刻を一人で手がけることとなる。
 しかし、華々しい独り立ちとして入社したホテルでの仕事も、苦労の連続だった。
 例えば、調理部門で使われる氷の器を、一人で何千個も彫り続ける。
 宴席に飾られる氷彫刻も、お客の細かい注文に逐一応えなければならない。
 氷彫刻業界を渡り歩いて会得してきた「速さ」と「造形力」に、さらに磨きをかける日々が始まった。
 特に、平田さんの所属する調理部門の統括だった伊佐武二総料理長は、とても仕事に厳しかったという。
 お客は納得しても、総料理長は首を縦に振らないという局面が幾度となくあったそうだ。
 平田さんは総料理長のダメ出しを一つ一つ、懸命にクリアしていった。
「辛かったけど、本当に鍛えられましたよ。ありがたかったですね」
 聞こえてきたのは恨み節ではなく、感謝の言葉だった。
「自分の殻を破ろうとする時はいつも、今の自分には不可能な目標を設定する。自分へのハードルは常に上げ続ける」  いつか、平田さんがテレビのインタビューでそう語っていたことを思い出す。
 伊佐料理長は平田さんにとって、常にハードルを上げてくれる、貴重な存在だったのだろう。

 生物も無生物も自在に彫り上げる平田さんに、氷彫刻で最も基礎になるモチーフは何なのか聞いてみる。
 するとそれは「スワン」、すなわち氷の白鳥なのだそうだ。
 平田さんは駆け出しの頃から、数え切れないほどのスワンを彫った。だが未だに、スワンの理想形には到達していないのだという。
 スワンには、氷彫刻におけるバランスの取り方、道具の使い方など、重要なエッセンスが凝縮されている。
 それは書道において「永」の字の中に、筆運びにおける全ての要素が内包されているのと似ている。
 氷彫刻はスワンに始まりスワンに終わる。
 スワンを制する者は氷彫刻を制する、のかもしれない。
「スワンは奥が深いんですよ」

 平田さんは最後に、この松本の大会の後、旭川で行われる「氷彫刻世界大会」について話してくれた。
 この大会は、現在のところ日本最大かつ公式の氷彫刻大会で、優勝者には総理大臣杯が授与される。
 この大会に平田さんは、赤羽目さんとタッグを組んで団体戦に出場するのだという。
 赤羽目さんといえば、帝国ホテルの現役氷彫刻師で、故・謙三さんの後継者だ。
 二人の専業氷彫刻師によるタッグ、つまりそれは、最強の布陣であることを意味している。
 その旭川では「龍」をモチーフとして制作するという。
「完成できないかもしれない。だけど、赤羽目さんと力を合わせればきっと完成できる。そういう限界ギリギリのものを作ります。もし完成できたら、必ず優勝できる」
 平田さんはまたひとつ自分へのハードルを上げたのである。

「なんというか、宇宙のような・・・複雑過ぎてもうわけわかんないですよ」
 事前に構想図を見せてもらったという加瀬さんは、その内容について冗談交じりにそう形容した。
 平田さんと赤羽目さんが極寒の40時間を耐え抜いて彫り上げた大作『飛龍』。
 薄い板氷を組み合わせた台座の上を、大きな龍がうねりながら円を描き飛んでいる。
 龍にも台座にも、やはり極限まで細かい彫刻が施されている。
 加瀬さんの「複雑過ぎて」という表現は決してオーバーではなかった。

 そして、この『飛龍』は見事最優秀賞に輝き、二人は総理大臣杯をその手中に収めたのである。
 またひとつ、平田さんは自らの殻を打ち破った。
 この先、いったいどこまで上っていくのだろうか。
 それは平田さん自身にしか分からない。
 ただひとつだけ言えるのは、平田さんの進撃はまだまだ止まることはなさそうだ、ということである。
 これからも、平田さんのさらなる活躍を期待していきたい。

 今回、平田さんとタッグを組んだ近藤卓さんについても記しておきたい。
 近藤さんは、都内の「ホテルオークラ」に調理人として勤務する傍ら、氷彫刻を手がけている。
 氷彫刻の大会にも数多く出場し、受賞歴も多い。
 最近では昨年夏に東京・上野で開催された「第47回 全国氷彫刻展夏季大会」で、少女と子犬をモチーフにした『おかえりワン!』を制作し、平田さんや名だたる強豪を制して、最優秀賞(文部科学大臣賞・秀江賞)を獲得している。
 いわば、氷彫刻の「若き実力者」なのである。
 今回の大会での働きぶりも見事だった。
 設計図と氷を見比べながら、自分の受け持った作業を着実かつ黙々とこなしていく。
 平田さんが彫刻に入る時には、ちゃんと下地が切り出されて用意されている。
 さすが、数ある大会で受賞するだけのことはあって、ベテランの手つきなのだ。

 近藤さんについて、印象的だったことのひとつが「装備品」だった。
 制作中の写真を見ていただければ分かるように、近藤さんはいろいろな「氷彫道具」を身に着けている。
 腰にはカールコードで結束された巻き尺と赤色マーカー、首にはLEDライトを提げている。
 それらが必要になった時点でさっと手にとって、迅速に作業を進める。
 平田さんと設計図の確認をする時は、首のLEDライトを素早く点灯する。
 私の職場にも近藤さんのようにいろいろな「ひみつ道具」を装備している同僚がいるが、やはり彼らは仕事の効率とか進め易さにとても敏感で、その結果、他とは一味違った仕事をするのである。
 近藤さんが氷彫道具をその身にまとっているのも、近藤さんの氷彫刻への問題意識と情熱の現れなのだと思う。
 初対面だったせいもあると思うが、近藤さんはとてもシャイで寡黙な印象で、あまり突っ込んだ話ができなかったのがとても悔やまれる。
 とはいえ、近藤さんはすでに各氷彫刻大会の常連なので、これからまた時間をかけてそのキャラクターに迫ってみたいと思っている。
 
 近藤さんが氷彫刻を始めたきっかけは、昔、「明治神宮奉納冬季氷彫刻展」で見た氷彫刻に感銘を受けたからだそうだ。
 その近藤さんは今、自ら手がけた氷彫刻で見る人に感銘を与えている。
 これからも近藤さんの作品を見たことをきっかけとして、氷彫刻の道を目指す人が出てくるに違いない。
 ますますの活躍を期待したい。


 
 加瀬秀雄 赤羽目健悟 氷彫刻 『龍虎の叫び』【1】に続く


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