新潟県糸魚川市(2007年8月9日撮影)
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独りで
海を見に行った。

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どこからともなく現れた老人は、カメラを構える私を見つけると
「夕日の写真ですか。うまく焼けてくれるといいですね」
と言った。
老人は地元で写真店を営む傍ら、何十年もの間、
この浜辺に足を運んでは夕日の写真を撮っているのだ、という。
「でもね、なかなか思ったような夕日をとるのは難しいことですね」
と老人は笑った。
私は老人に、写真を撮りながら拾った白い小石を見せた。
この浜に土砂を運ぶ姫川の上流にはヒスイの鉱床があって、
浜の小石のなかにヒスイの原石が紛れていることがある。
「ヒスイもね、夕日と一緒でなかなか難しいですね。でも、夢があっていいじゃないですか」
私が手にした小石の真贋には触れず、老人は静かに笑った。
波打ち際で、犬が嬉しそうに走り回っていた。
最高の夕日ではなかったけれど、何となく「夢があっていい」気がした。
回想
この日、何の気なしに、海の写真を撮りたいと思った。
一人で車を走らせ、糸魚川の海岸に立った。
いろんな物思いにふけりながら写真を撮った。いい気分だった。
根拠はないけれど、自分の人生が明るいほうへと勝手に転がっていくような気がしていた。
いまにも叶いそうな夢があった。
しかしその夜、そんな楽観的に描いた未来が、いとも簡単に消し飛ぶことになった。
自分の力の及ばない場所で、私の目指すべき未来が砂絵のように崩れていった。
本当は、この夜に何かが変わったわけではなかった。
もっとずっと前から、望みは潰えていたのに、私だけそのことを知らなかった。
私はただ、馬鹿みたいに夢を見ていただけだった。
悲しみと怒りと無力感に骨の髄まで支配され、すべてが嫌になって次の日の仕事を休んだ。
過ぎてしまった日々のどこかに、もっとマシな今に繋がる選択肢があったのではないかと、これまでの時間を頭の中で何度も何度もトレースした。
だが、そんなことをしてみても、現実は何も変わらない。
むしろ傷口に塩をすり込むかように、心の痛みだけが強くなった。
地獄のような日々が始まった。
独りぼっちの時間は、頭がおかしくなりそうだった。
なんでもいいから、気を紛らわせるものが欲しかった。
少しでも楽になりたかった。
大枚をはたいて手に入れたものの、何を撮っていいかわからず持て余しはじめていた一眼レフを、私は再び手にとった。
そして、すがるような気持ちで撮り始めた。
自分の心の中にどこまでも広がる黒々としたものが、撮ることによって少しでも薄まればと思った。
ある時、夢中で写真を撮っている時、自分の心の中からあの絶望的な感情が消えていることに気づいた。
奥歯で砂を噛むような毎日は相変わらずだったが、写真を撮っている時だけは、嫌なことを全て忘れられる。
それから、写真は私の身体の一部になった。
沢山撮るうちに、技術も身につき始めた。
ちょっとはいいと思える写真も貯まり始めた。
そして、ブログを始めた。
そこから10年あまり。
いろいろあったけれど、私は、あの日々を肯定できるようになった。
今だからこそ分かる。
あの日味わった思いは絶望などではなく、今日に繋がる種だったことを。
あの泣き叫びたいような日々こそが、私に写真の楽しさを教えてくれたのだということを。
人生は、思うようにはいかない。
しかし、人生には思いもかけない幸せも転がっている。
この日、海辺で無邪気にシャッターを切っている私は
そのことをまだ知らないでいる。
多分、誰も見にこないような過去記事なので、ちょっと赤裸々に書いたりしてみました。
今はとても恵まれた毎日を送っています。いろいろな人にありがとう。
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