千年希望の丘

宮城県岩沼市 相野釜地区 千年希望の丘 地図

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ゆるゆると雲が流れていく澄んだ空の下に
穏やかな海が広がっている。
木々や草むらが、潮風に揺られている。

高台から見下ろす
海沿いの草地の中に、
不自然に折れ曲がった
アスファルトの小径が見える。

数年前のあの日まで、ここには小さな集落があった。
そこに暮らす人々の日常があった。

このアスファルトの小径を
集落の人々が行き交っていた。

けれど今はもう、家も人の姿もない。
どこまでも続く荒れ地の草むらが
ただ潮風に揺れている。

2011年3月11日。

大津波が、ここにかつてあった
全てを破壊し、流し去った。

千年希望の丘から太平洋を望む

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宮城県岩沼市。

あの日、海から押し寄せた津波は
凄まじい轟音とともに
砂浜を越え、防風林をなぎ倒し
市内のほぼ半分を、瞬く間に濁流で覆い尽くした。

この一帯は、116世帯、513人が暮らす
「相野釜」という静かな集落だった。

地震による津波の襲来によって集落は壊滅。
ここに暮らす43人が命を失った。

震災を生き延びた人々は
住む場所を奪われ、
より内陸部への集団移転を余儀なくされた。

そして、かつて皆が暮らしたその場所には
荒涼とした荒れ地だけが残された。

そして今、
津波が去った荒れ地に
震災で発生した瓦礫を使って
いくつもの人工丘が築かれている。

震災の日、この集落からほど近い岩沼海浜緑地にあった
高さ10メートルの丘は、
避難のため咄嗟に駆け上がった3人の命を
荒れ狂う津波から守った。

この震災瓦礫による人工丘「千年希望の丘」は、
あの日3人の命を守った丘のように「津波から人々を守る丘」として、
また、「未曾有の震災の記憶を後世に伝える丘」として
震災復興事業のなかで築かれた。

この「千年希望の丘」1号丘のかたわらに
慰霊碑モニュメントが建てられている。

千年希望の丘 慰霊塔

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塔の高さは、
津波の水位とほぼ同じ
標高8メートル。

この塔が完全に水没するほどの濁流。
それがどれほど凄まじいものだったことか。

千年希望の丘 慰霊塔の鐘

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慰霊碑のある広場で
和やかに遊ぶ子供たち。

一度止まってしまったこの場所の時間が
未来に向かって動いていることの証しのような気がして、
少しだけ気持ちが楽になる。

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あの日から5年以上が経った。
しかし震災は依然として過去のものではないことを
実感する。

この公園を出た後、
津波の被害を受けた沿岸部を
車で走った。

どこまでも続く荒れ地の中を、
幾台ものダンプカーや重機が往来している。
多くの作業員が、復旧工事を続けている。

津波で破壊された民家や学校が
雑草が生い茂る荒れ地の中に
いまだ取り壊されることなく
ぽつんと建っていたりする。
その場所だけは、震災の日のまま時間が止まっている。

千年希望の丘 東日本大震災 慰霊碑

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あの日、テレビから流れてきた津波の映像は
目に焼き付いて離れないほど衝撃的な光景だった。
「どうか嘘であって欲しい」と思わせるような光景だった。

そして今、この場所に立つと
あの光景が決して嘘ではなかったことが
現実として押し寄せてくる。

それは、どれほどテレビを見ても
感じることができなかった
突き刺さるような現実感だった。

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いつしか、言葉少なになって
ただ黙って車を運転した。

カメラを向けることはできなかった。

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あの日、津波で命を落とした多くの人々の無念さを思う。

別れの言葉も交わせないまま、大切な人を失った人々の絶望を思う。

そして、失意の淵から這い上がり、なお

今も、懸命に歩き続けている人々のことを考える。

ときに無慈悲で不条理な自然を前に、
いかに人は非力であるかを思う。

しかし、そんな自然に打ちのめされようと、
人は何度でも立ち上がって、
また前に進んでいく。

進んでいくのだと思う。


~ 東北旅行記 完 ~


 

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