ハミダシ写真と文 2020年10月

10月23日 今夜の月(月齢6.61)
EOS5D Mark IV + EF500mm F4 L IS USM + EXTENDER EF2×III

 あんなに細かった月も、いよいよほぼ上弦となった。
 今はただ月を見るために月を見ているのだけれど、昔の人にとってはこれが「空飛ぶカレンダー」だったわけだから、月の満ち欠けに対する感慨も、今とは比べものにならなかっただろうと思う。

 念願叶って、松本市美術館で開催されている「ミュシャ展」に行ってきた。
 NHK日曜美術館で知って、いつかこの目で見てみたいと思っていたら、なんとミュシャの方から松本にやって来てくれた。
 素晴らしかった。
 出世作『ジスモンダ』ポスター をはじめとして、これぞミュシャ!という作品が並ぶ。
 画集で見るのも良いけれど、やっぱり本物の存在感は凄い。 
 およそ100年前のものとは思えない洗練されたデザイン。いまだに絵師やデザイナーに強い影響力を持っているというのも頷ける。

 以下、感想の覚え書き的なもの。

  • 「曲線」が凄い
     女性の身体のラインをはじめとして、絵の端の僅かな装飾線に至るまで、とにかく多様で美しい曲線に満たされている。美しい曲線はそれだけで人を感動させる。氷彫刻師の平田さんを思い出した。
  • 「パンフォーカス」の極み
     西洋画というと、主題は克明に描いて背景はぼかすみたいな、写真でいうと望遠レンズで撮ったような手法で描かれることが多いのだけれど、ミュシャはデザインの人なので、背景まで細部に渡って気の遠くなるレベルで描き込んでいる。主題から背景までカチカチにピントが合ったいわゆる「パンフォーカス」の極み。
     だから、人物のポーズとか物の配置とかの「構図」が完璧で絵全体として一分の隙もない。でも窮屈さは微塵もなく、逆に優雅でたおやかですらある。
     凄い。
  • 女性の「眼ヂカラ」が凄い
     ミュシャの絵で特徴的なのは、女性の表情、その中でも特に眼ヂカラが凄くて、目が合うと絵なのにドキッとするほど。
     絵を見ながらどうしてだろうと考えていたのだが、ひょっとすると瞳の中に描かれた「ハイライト」がそれに一役買っているのではないか、ということに気がついた。
     ミュシャは絵の隅々まで細密に描き込むのだが、彩色はイラスト調でフラットな、つや消しのタッチで統一されている。
     その中で唯一「瞳」だけが「光沢」物として描かれているのだ。
     一面細密でフラットな絵の中で、女性の瞳だけがキラッと光を宿していてハッとする。
     だから、瞳だけが絵の中で特別な存在感を持って鑑賞者の目に映り、女性の表情が一気に命を宿す。
     瞳の中の小さなハイライトだが、これがあるのとないのでは大違い。写真でも同じことが言えるかもしれない。いわゆる「キャッチライト」は大切。
  • 反復図形と見せかけて実は全部違ってる
     ミュシャはよく背景とかに、同じ花や幾何学模様を規則的にいくつも描いてパターンとして使っているのだが、もちろん手書きなので同じ花と見せかけてよく見ると全部ちょっとずつ違う。
     遠目には分からないのだけれど、その「パターンの中で全部微妙に違う」ということが、かなりの重厚感を生みだしていると感じた。
     今はPhotoshopやIllustratorとかで、同じ画像を簡単にコピペしてパターンを作れるけれど、絵の深みが出ないのはこういう理由なのかもしれない。
  • 皆のお手本、でも誰も追いつけない
     今回の展覧会はミュシャの作品を展示するだけでなく、後世にミュシャの影響を受けた人の作品も展示されている。
     その誰もがミュシャを敬愛し、その手法を取り入れ、ミュシャの境地に近づこうとしているのだけれど、結果としてミュシャを体現できている人は誰もいない。
     他の人の「ミュシャもどき」を見れば見るほど、かえってミュシャの凄さがよく分かるという、絶妙に捻った展示。

 と、いろいろと感銘を受けたので記録として書き記しておく。
 今回展示されたものはチェコのミュシャ財団の所蔵で、この松本会場、次の郡山会場を逃すと鑑賞の機会はかなり遠のくと思うので、
好きな方にはぜひおすすめしたい。

 写真の勉強としても最適。

【公式サイト】みんなのミュシャ

【松本会場公式WEB】みんなのミュシャ

 


10月22日 久しぶりの星野撮影
EOS5D Mark IV + EF24mm F1.4L II USM + ソフトン(A)

 20日の夜、夕飯のあと空の広い場所に向かった。

 星を撮るのはどれくらいぶりか。
 1年以上撮っていない気がする。

 星撮りは空のコンディションに激しく左右されるし、いつもの写真のようにアングルを変えつつバシバシ撮っていけるものではないので、リズムに慣れるまでいつも戸惑う。

 オリオン座流星群に起因するであろう流れ星が、撮影中にいくつも飛んでいった。
 レンズを向けた方に全く飛ばないあたりは、私の日頃の行いが悪い証左だろう。

 撮影は忍耐だけれど、もののついでではなく、ただ夜空を眺めるのは贅沢な時間の使い方だと思う。

 


10月21日 1日後の月
EOS5D Mark IV + EF500mm F4 L IS USM + EXTENDER EF2×III

 昨日とほぼ同時刻に月を撮った。
 天気が下り坂で、薄い雲の向こうに朧げに光っていた。

 昨日の三日月が一日でこんなに姿が変わってしまうのだなあと、当然のことに改めて驚く。

 


10月20日 今宵の三日月
EOS5D Mark IV + EF500mm F4 L IS USM + EXTENDER EF2×III

 澄んだ夕空に三日月が浮かぶ。
 久しぶりに撮って出し。

 三日月くらいの斜光のほうが、クレーターがはっきりして天体感が高まる。

 今夜は星見には最適なお天気。
 出かけようか。

 


10月19日 過去の写真をリニューアルしてアップしました


→ 旅するアマガエル

 アマガエルをとても敬愛している。
 生態系の底辺にいながら、その小さな身体で、飄々と、泰然と、でも一生懸命生きている。
 あと、姿形も動作も、表情すらも可愛らしい。
 他のカエルはかなり邪悪な顔をしているが、アマガエルだけは別格。

 カエル嫌いの方には申し訳ない。
 


10月18日 過去の写真をリニューアルしてアップしました


→ 糸魚川の夕陽2010 

 この日は朝から紅葉撮影に飛び回って、その勢いで夕方海岸までひとり車を飛ばしている。
 いまさらだが、闇雲に撮れるって良いことだなと思う。
 写真って、冷静に撮ることも必要なんだけれども、それよりも熱量のほうがもっと重要なのかもしれない。

 この頃は白鳥撮影のためにEOS7Dを運用していた。
 こうやって見ると、APS-Cは望遠で真価を発揮しているなと思う。
 久々にちょっと食指が動きそうで恐ろしい。

 


10月17日 過充電
EOS7D + EF300mm F2.8 L IS USM

 昨晩は夜半よりもかなり前から眠り込んでしまい、そのまま朝まで寝続けた。

 今までなら3時とか4時とかに目覚めるのだが、例の敷布団に替えたせいで際限なく寝続けられるので、結局必要以上に寝てしまうのだ。

 その結果、スッキリ爽やかという目覚めには程遠く、一日中身体と瞼が重かった。

 多分、これこそが過充電というものなのだろう。

 100%を超えて無駄に充電され続けたバッテリーの気持ちがよく分かる。

 過充電がバッテリーにダメージを与えて性能が低下するという理屈も、身をもって理解したのだった。

 


10月16日 激落ちくん
EOS5D + EF24-70mm F2.8L USM

 激しく寝落ちしたので、激落ちくんと自称してみる。

 


10月15日 過去の写真をリニューアルしてアップしました


→ 安曇野花火2010

 最近は花火の撮影も食傷気味というか、ありふれたものになってきていたのだが、今年ことごとく全ての花火大会が中止になったせいで、再び花火との心理的距離感が近づきつつある。

 10年前の花火大会の記憶ですら、今やとても愛おしく尊い。

 こんな日常が一日も早く戻ることを祈る。

 


10月14日 過去の写真をリニューアルしてアップしました


→ 雨の日のカラス、屋根の上 

 12年前の写真から発掘。

 初代EOS5Dにサンヨン。
 何を撮ったらいいのかよく分からなくもあり、何を撮っても楽しくもあり、という頃。
 当時からカラスがいれば撮ってしまうという習性は今も変わらず。

 12年前のことなんてほとんど思い出せないが、写真を見ていると、撮ったときの状況まで克明に思い出してくるので不思議。

 


10月13日 木曽馬
EOS5D Mark IV + EF70-200mm F2.8L IS II USM + EXTENDER EF2×III

 木曽馬に会いに行ってきた。

 馬は悲しげな瞳をしている。
 でも多分、そんなに悲しんではいない。
 でも、なぜか悲しそうに見える。

 


10月12日 よく寝ました
EOS5D Mark IV + EF35mm F1.4L USM

 新生児かよ、ってくらいよく寝た。
 辛うじて夜泣きはせずに済んだ。  

 


10月11日 遠くへ行きたい
EOS5D Mark IV + Auto Yashinon-DS 50mm F1.7

 どこか知らない遠くの町をふらふら歩きたい。

 中村八大&永六輔な意味合いではなく、本気で。

 


10月10日 プロに求めること
EOS5D Mark IV + Carl Zeiss Makro Planar T* 2/50 ZE

 職業カメラマンがやっているYouTubeで、やたらと特定メーカーの新機種を絶賛するチャンネルがある。

 プロなので食っていくことに一生懸命なのは理解できる。提携しているメーカーへの気遣いがあるのもよく分かる。
 だが、それらがあまりにも度が過ぎていて見ていて白ける。

 私はプロに優れたカメラ技術者であることや優れた写真表現者であることを期待しているのであって、カメラメーカーの提灯持ちであることなど望んでいない。

 客観的に優れたカメラマンが優れた写真を撮っていれば、そのカメラマンが使っている機材は自ずと注目される。
 ここが良いとかそこが良いとかカメラマン自身がテレビショッピングまがいのレビューを繰り広げる必要などない。

 だからこういう特定メーカーの機材レビューばかりしているプロカメラマンはいまいち信用できない。

 やっている本人は動画の再生数が伸びてご満悦なのだろうが、やればやるほど尊敬されるプロの姿からは遠ざかっていく。

 機材を作っているのはメーカーなのだから、機材のアピールはメーカーがやれば十分だ。

 自ら「写真家」と名乗るからには、せめて全力で「写真」のことを皆に語ってほしい。

 


10月9日 過去の写真をリニューアルしてアップしました


→ 奈良井宿秋雨

 


10月8日 新しい記事をアップしました


→ 番所大滝2020

 9年前に撮った番所大滝を再訪、モノクロで。
 基本的撮影スタイルは変えずにチャレンジ。
 9年前の自分に撮れなかったものが、ひとつでも撮れていれば勝ち。

 同じ被写体を繰り返し撮るのは、過去の自分と時を超えて対決している感じがする。

 


10月7日 彼岸花の不思議
EOS5D Mark IV + EF100mm F2.8L Macro IS USM + ストロボ

 彼岸花はいわゆる「三倍体」の植物なので種子を作ることができず、もっぱら球根を分球させて増えるしかない。

 だから地を這うようにして増えていくことはできるが、隔絶した場所にいきなり芽を出すようなことはない。だから、いま咲いている彼岸花全てが、誰かの手によって植えられ増えたものだ。つまり彼岸花は人間の過去の営みを証明する花でもある。

 また、彼岸花は種で増えない故に、全ての株が同一の遺伝子を持ついわゆる「クローン」だ。

 クローンだから皆同じ振舞いをするかと思いきや、そうとも限らないようだ。

 自宅の近所に彼岸花の小群生地があるのだが、そこの彼岸花だけはなぜか毎年1週間以上遅れて咲く。
 他の場所と日照や温度が特に違うとは思えないのだが、なぜかそこの彼岸花だけは遅れて咲くのである。

 あたりの彼岸花はもう名残になっているが、ここだけはまだまだ満開。

 もともと不思議な花なのだけれど、さらに謎は深まるのであった。

 


10月6日 とりあえず成功
EOS5D Mark III + EF100mm F2.8L Macro IS USM

 ちょっと前から試行錯誤していた、新しいお手製ライティング機材が完成したので、テスト撮影してみた。
 ひとまず、狙った光は出ている。
 成功という判断にしておこうと思う。

 これまでは60センチ角のソフトボックスを使っていたので、柔らかい光でライティングできる範囲には自ずと限界があった。
 メシ撮りなどの写真を今後グレードアップさせるためには、なんとしても現ソフトボックスを超える機材を導入する必要があった。

 そこで掲げた目標は次のとおり。

 ★ テーブル1枚分くらいを余裕で照らせること
 ★ 光の硬さや角度を調整できること
 ★ 光源はすでに持っているクリップオンストロボ(2台)で賄えること
 ★ 完成後の機材が居住スペースを圧迫しないこと
 ★ できる限り出費を抑制すること

 とにかく拡散面のでかいディフューザーを目指せばいいことは分かっている。
 そこで無い知恵を振り絞って考えて、ホームセンターへ行っていろいろ買い込んでDIYで頑張った。
 総出費約2700円(偉い!)。
 見た目はガサツだが、予想以上にちゃんと機能したので安心した。

 ただ、機材を持っていることと目的の写真がちゃんと撮れるかどうかというのは別問題。
 これから使い方の修行を頑張る。
 

 


10月5日 船頭多くして船山に登る
EOS5D Mark IV + EF135mm F2L USM

 写真系のYouTubeが氾濫している。

 そしてそれぞれが「写真の核心」を論じているが、全員ことごとく意見が異なっていて、まさに「船頭多くして船山に登る」の様相を呈している。

 おそらく、そこで論じられている写真の核心は、それぞれの経験則に基づいた真理なのだろう。
 だが、その真理もカメラマンごとにバラバラであることに鑑みれば、写真系YouTubeを熱心に見て何かを得ようとしている人の真理もまた、その人独自のものであるはずだ。

 写真系YouTubeは写真をやっていく上で様々なヒントをくれる。
 だがそれはあくまでもヒントであって答ではない。
 たとえ大先輩の答といえども、それが自分の答と同じとは限らない。
 そこを見誤ると自分の船が山に登るはめになる。

 「あの人はああ言っている、この人はこう言っている、正解はどっちなんだ」と悩むのではなく、結局、自分の答は自分で探すしかない。

 


10月4日 機材組み立て
EOS5D Mark IV + EF50mm F1.2L USM

 メシ撮り用の新開発機材を組み立て。久々に日曜大工みたいなことをやった。

 果たして、上手く働いてくれるか。

 


10月3日 泥寝
EOS5D Mark IV + Carl Zeiss Makro Planar T* 2/50 ZE

 敷布団を「エアウィーヴ」に変えた。
 寝心地は多分いいんだろうな、とは思っていたが、実際一晩寝てみると、もう、なんというか凄まじく、眠れて眠れて仕方がない。もしかしたらこのまま一生寝ていられるんではないか、と思った。
 長時間寝ていると、完全充電に至らずとも身体のどこかが痛くなってきて目覚めてしまうところ、この敷布団はいくら寝ても全然身体が痛くならない。すなわち、これまでの限界を超えて寝ていられるのである。

 昨晩、ちょっと試しに横になってみるかなと布団に入ったきり、泥のように眠ってそのまま朝になった。

 バイオリンを持っていないし触れたこともないのに、数日後の演奏会に出なくてはならなくなるという恐ろしい夢を見た。

 寝過ぎである。

 


10月2日 明るい彼岸花
EOS5D Mark IV + EF100mm F2.8L Macro IS USM

 これまで散々、「彼岸花は闇の花」みたいなことを繰り返しアピールしておきながら、こういう光あふれる彼岸花もこっそり撮ってある。

 何をとっても同じトーンになってしまう、というよりは、一つの被写体に対してより多くの引出しを作りたい。
 その上で、自分のイメージに合う撮り方を選択できるようにしたい。

 ある被写体が常に同じ存在感を放っているとは限らない。
 いかなるものも明暗清濁、様々な側面を併せ持つ。
 ある側面に盲目的にレンズを向けるのではなく、その被写体を多角的に理解した上で最適な撮影法を選択していきたい。

 したがって、何を撮っても常に同じトーンで仕上げるみたいなスタイルにはヒジョーに懐疑的。

 


10月1日 中秋の名月
中秋の名月2020
EOS5D Mark IV + EF500mm F4 L IS USM + EXTENDER EF2×III(トリミングあり)

 朝は曇っていたが、昼過ぎから天気が回復して青空が見えてきたので、中秋の名月の「月の出」を撮るべく、夕方いつもの高台に向かった。
 ところが高台に着く頃になって、北の方からおびただしい雲が流れてきて、あっという間にベタ曇りに近い状態になってしまった。
 高台にはやはり中秋の名月を見ようと麓の町から登ってきた男性がおり、本来ならば月の出ているであろう方向を眺めつつ、お互いの徒労をしばらく労いあった。

 帰り際、高台のあちこちに生えていたススキの穂を何本か折り取って、家の一輪挿しに飾った。

 帰宅してしばらくすると雲が切れ始め、高度を上げた月が時折見え隠れするようになった。

 ベランダから見る中秋の名月も、十分に美しかった。

 写真は今夜の月。
 久しぶりに、撮って出しの新鮮な写真。
 

 


 

「ハミダシ写真と文」バックナンバー